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    <title>特別寄稿</title>
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    <title>ドン・シーゲル特集 ＜その4＞　　Text by 桑野 仁</title>
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    <published>2008-06-03T04:24:07Z</published>
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    <summary>最後の『グランド・キャニオンの対決』は、今回WOWOWが放映する4作品の中では唯...</summary>
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        <![CDATA[最後の<em>『グランド・キャニオンの対決』</em>は、今回WOWOWが放映する4作品の中では唯一のカラー作品で、グランド・キャニオンの大峡谷にかかるロープウェイを舞台に死闘が繰り広げられる、息詰まるアクション。シーゲルが、初めてシネマスコープで撮影した作品ともなった。]]>
        <![CDATA[もともとこの映画の企画は、俳優のジャック・イーラムを主役に想定して彼の友人が書き上げた脚本を、やはりイーラムとは良き友人であったシーゲルが目にとめて気に入り、各映画会社に企画を持ち込んだものの、残念ながらイーラムの主演ではどこも興味を示さず、結局、主役に乗り気を示したコーネル・ワイルドの主演を条件に、コロムビアで映画が作られることになった。映画のプロデューサーも務めたもとの脚本作者は、映画製作の経験がまるでなかったため(結局これ1本きりで終わった)、彼を補佐したシーゲルが、“アソシエイト・プロデューサー”の肩書きも頂戴することになったが、監督料とは別の、それに対するギャラは何も支払われなかったという。

<em>『哀愁の湖』</em>(53 ジョン・Ｍ・スタール)、<em>『暴力団』</em>(55 ジョーゼフ・Ｈ・ルイス)等で主演を務め、時に自ら監督を手がけることもあったコーネル・ワイルドが、ここではさびれた町の郡保安官代理を演じ、廃鉱の周辺で起きる怪事件の捜査に乗り出した末、真犯人をグランド・キャニオンへと追い詰める様子を映画は描いていくわけだが、率直に言って、彼の演技はこの映画でも今一つ生彩に欠けていることは否めない。そのあたりは、シーゲル自身も、「いいかい、ストーリーはよくないし、映画は安っぽく作られているし、キャストにも異議がある」とはっきり認めたうえで、「けれどもグランド・キャニオンの場面では、誰もが思わず手に汗握ってしまうことを、私が請け合おう。すべてのショットが死だ。文字通りの死だ。そして我々は誰1人殺すことがなかったんだ！」と述べている。大峡谷にかかるロープウェイを舞台に繰り広げられるクライマックスの死闘では、命知らずのスタントマンが実際に上空1,500フィートもの高さにあるロープウェイから吊り下がるところを撮影したとのことなので、ぜひそのスリルと臨場感を固唾を呑んで見守って欲しい。

なお、この映画でシーゲルは、ほんのチョイ役で劇中出演も果たしている。自作へのワンカット出演を好んだ偉大な先達に倣って、“ヒッチコック・ビジネス”とシーゲルが名づけたこのお遊びを、その後彼は、<em>『殺人者たち』</em>や<em>『突破口！』</em>などでも続けていくわけだが、<em>『グランド・キャニオンの対決』</em>の中でシーゲルが登場するのは、映画が始まってから約14分頃。ワイルド扮する主人公が捜査のためにあるモーテルを訪れ、パトカーを下車する際、その手前のプールサイドでリクライニング・チェアに腰掛けてくつろぐ1人の男をキャメラが捉える。それがどうやらシーゲルらしい。実際にはシーゲルは首にスカーフを巻き、パイプを口にくわえて撮影に臨んだとのことだが、あくまで後ろ姿を一瞬映し出すだけなので、よくよく眼を凝らして見ないと画面では確認できないし、だいいち、これがシーゲルだと言われても、分かる人はほとんどいないだろう。どうか、よく注視して、お見逃しなきよう願いたい。


<a href="http://eiganokuni.com/feature/2008/06/_1text_by.php">ドン・シーゲル特集 ＜その1＞を読む</a>
<a href="http://eiganokuni.com/feature/2008/06/_1_2text_by.php">ドン・シーゲル特集 ＜その2＞を読む</a>
<a href="http://eiganokuni.com/feature/2008/06/_1_3text_by.php">ドン・シーゲル特集 ＜その3＞を読む</a>


テキスト：桑野 仁


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    <title>ドン・シーゲル特集 ＜その3＞　　Text by 桑野 仁</title>
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    <published>2008-06-03T03:53:49Z</published>
    <updated>2008-06-04T09:25:19Z</updated>
    
    <summary>ジェームズ・エルロイの同名小説をカーティス・ハンソン監督が映画化したネオ・ノワー...</summary>
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        <![CDATA[ジェームズ・エルロイの同名小説をカーティス・ハンソン監督が映画化したネオ・ノワール、<a href="http://www.tfc-dvd.net/dvd/form.html?p_id=TBD%201152"><em>『L.A.コンフィデンシャル』</em></a>(97)の新版DVDが、製作10周年記念と銘打って、東北新社からリリースされることになったので、あくまでシーゲルと関連する点にだけ的を絞って、紹介しておきたい。]]>
        <![CDATA[案外知られていない事実だが、このカーティス・ハンソンは、子供の頃からの映画好きが嵩じて映画ライターとなり、ロジャー・コーマン製作の低予算ホラー映画の共同脚本を手がけて映画界デビュー、ついには念願の映画監督へと上りつめた経歴の持ち主。彼より6才年上のピーター・ボグダノヴィッチとよく似たシネフィルお決まりのコースを辿ったわけだが、実際、高校中退後、ビヴァリーヒルズに住む裕福な叔父が金づるとなった映画雑誌、CINEMAの編集・発行を約3年間にわたって務めたハンソンは、そこで数多くの敬愛する映画人たちのインタビュー記事と写真を掲載。その1つとして彼が68年の春に手がけたドン・シーゲルのインタビュー記事は、やはり同誌の執筆陣の1人だったボグダノヴィッチが同時期に別の映画雑誌に掲載したシーゲルへのインタビューなどと並んで、英米圏における映画作家シーゲルの再評価に先鞭をつける、大きな役割を果たすことになった。

シーゲルは、彼の自伝の謝辞の中でカーティスの名前も挙げて、「<em>『刑事マディガン』</em>(68)の公開後にカーティスが私に行ったインタビューは大きな反響を巻き起こすことになった。彼は、自分がインタビューする相手を完全にくつろがせてしまう不思議なコツを心得ていて、私の場合、それが素晴らしいインタビューに結実することとなった」として感謝を捧げ、さらに「私は、彼が映画監督として成し遂げた仕事を大変誇りに思うし、また、彼がそれに十分値するチャンスを得るのに、自分が手を貸すことができたことも幸せだった」とも重ねて述べている。実はハンソンが、アメリカの映画監督協会に加入するにあたって、それに必要な3人の保証人として署名を頼みこんだのが、シーゲルと、サミュエル・フラー(彼の監督作<em>『ホワイト・ドッグ』</em>(81)の共同脚本はハンソンが手がけた)、そしてジョン・カサヴェテスという、ハンソン自身が最も敬愛する3人の先輩監督たちだった。

2005年7月20日、御存知アカデミー賞の主催団体である〈映画芸術科学アカデミー〉は、シーゲルの功績をたたえる追悼イベントを開催し、シーゲルの代表作の中から<em>『ボディ・スナッチャー／盗まれた街』</em>を選んで上映すると共に、2人の映画人がゲストとして招かれ、シーゲルについての思い出を語り合った。1人はもちろん、イーストウッド。そしてもう1人が、このハンソンである。そのイベントの報告記事が以下のサイトで読めるので、興味のある方はぜひそちらを参照のこと。
<a href="http://cinefantastiqueonline.com/2007/08/15/hollywood-gothique-clint-eastwood-praises-pod-film/">“CINEFANTASTIQUE”</a>
<a href="http://hollywoodgothique.bravejournal.com/entry/13111">“HOLLYWOOD GOTHIQUE”</a>

さてここで、肝心の<em>『L.A.コンフィデンシャル』</em>について、少し内容の方にも触れておくと、ハンソンはこの映画を作るにあたって、作品の具体的な雰囲気をつかんでもらうために、スタッフ・キャストに、50年代のハリウッド映画を何本か参考上映したが、その中には、<em>『キッスで殺せ』</em>(55 ロバート・オルドリッチ)や<em>『現金に体を張れ』</em>(56 スタンリー・キューブリック)などと共に、2本のシーゲル映画、<em>『殺人捜査線』</em>と<em>『地獄の掟』</em>(54)も含まれていた。ハンソンは、この2本を参考上映した理由について、「僕はシーゲル監督の、引き締まって、効率のいいスタイルにいつも敬服していた。僕もあの感覚を手に入れたかった」と語っている(日本公開時の映画プレスより。今回のDVDの映像特典に収録されている監督インタビューでは、残念ながら、特にそのことには言及していない)。

<em>『地獄の掟』</em>は、<em>『第十一号監房の暴動』</em>に次ぐシーゲルの監督作で、主演女優のアイダ・ルピノが独立プロデューサーの前夫コリア・ヤングと共同で脚本も手がけている。現金強奪事件を捜査中のLAの刑事2人組が、盗まれた大金を発見したものの、1人がそれを黙ってネコババしようとし、相棒の刑事が友情と職業的倫理感の板挟みとなって思い悩むという、“悪徳刑事”もののフィルム・ノワールで、同じ50年代のLAを舞台にした<em>『L.A.コンフィデンシャル』</em>とは物語や主題の上で大いに関連性があるといえるだろう(いずれ、さらなるシーゲル特集、あるいは女性映画作家としての彼女に着目したアイダ・ルピノ特集といった形で、この作品も日本で紹介される機会が訪れることを切に願いたい)。

また、<em>『L.A.コンフィデンシャル』</em>の中には、<em>『殺人捜査線』</em>というよりはむしろ、これをシーゲル自らがヴァージョンアップさせたというべき<em>『殺人者たち』</em>の中の戦慄的な一場面を、ハンソンがまるまるパクッたとおぼしい箇所が、映画の後半に出てくる。それは、ようやく事件の全容がつかめてきたことから、遂に互いに手を組んだガイ・ピアースとラッセル・クロウが、2人揃って地方検事のもとに乗り込み、彼を高層ビルの一室から窓の外におっぽり出そうと試み、すっかり怖気づいた相手から重要な情報を聞き出すという場面。このときの刑事2人は、<em>『殺人者たち』</em>の中の、アンジー・ディキンスンをいためつけるリー・マーヴィン＆クルー・ギャラガーの殺し屋ペアとダブって見えるのだが、さてどうだろう。ぜひ見比べてみて欲しい。

なお、<em>『L.A.コンフィデンシャル』</em>の原作者であるジェームズ・エルロイ本人も、ハリウッドのＢ級、Ｚ級映画を偏愛するかなりの映画通として知られているが、アメリカの映画専門ケーブルＴＶ局 Turner Classic Movies (TCM)は、2007年11月13日、エルロイを番組の特別ホストとして招き、彼がセレクトした50年代の埋もれたＢ級犯罪映画4本を放映した。その中には、<em>『札束無情』</em>(50 リチャード・フライシャー)、<em>『契約殺人』</em>(58 アーヴィング・ラーナー)などと並んで、シーゲルの<em>『殺人捜査線』</em>も含まれていた。その時、彼が映画放映の前と後に作品について語った映像が、現在、<a href="http://www.tcm.com/mediaroom/index/?cid=186815">TCMのサイト上</a>でも見ることができる。エルロイが<em>『殺人捜査線』</em>について何と語っているか、ぜひ皆さんの目で、チェックして欲しい。

<a href="http://eiganokuni.com/feature/2008/06/_1_4text_by.php">ドン・シーゲル特集 ＜その4＞へ</a>


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    <title>ドン・シーゲル特集 ＜その2＞　　Text by 桑野 仁</title>
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    <published>2008-06-03T03:33:42Z</published>
    <updated>2008-06-04T09:24:44Z</updated>
    
    <summary>『中国決死行』では、全然、世間の関心を引くことができなかった、とボヤくハメとなっ...</summary>
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        <![CDATA[<em>『中国決死行』</em>では、全然、世間の関心を引くことができなかった、とボヤくハメとなったシーゲルだが、続いて彼が取り組んだ映画<em>『第十一号監房の暴動』</em>は、それまでの彼お得意のアクションに、骨太な社会派ドラマとしての風格も兼ね備えた会心の一作に仕上がって批評的にも興行的にも成功を収め、監督としての彼のキャリアに最初の大きな転機をもたらす出世作となった。]]>
        <![CDATA[もともとこの映画を企画し実現させた最大の功労者は、ウォルター・ウェンジャー。<em>『暗黒街の弾痕』</em>(37 フリッツ・ラング)、<em>『駅馬車』</em>(39 ジョン・フォード)をはじめ、数多くの名作を世に送り出し、当時のハリウッドきっての進歩的プロデューサーとして知られた彼だが、51年、自分の愛妻であった人気女優ジョーン・ベネットが、彼女のタレント・エージェントを務める男と浮気していることを知ったウェンジャーは、その不倫相手の股間めがけてピストルを撃つというスキャンダラスな情痴傷害事件を引き起こして、4ヶ月間、刑務所に服役。そこで自ら味わった実体験を基に、刑務所内での囚人たちに対する非人間的な扱いや、劣悪な生活環境の改善を訴えようと、出所後のウェンジャーが、弱小独立プロのアライド・アーティスツで企画した作品が、この<em>『第十一号監房の暴動』</em>だった。

ウェンジャーの熱のこもった後押しを受けて、シーゲルは、テキサスにあるフォルサム刑務所を舞台に、本物の囚人たちをエキストラに配し、16日間にわたって現地でのロケ撮影を敢行。それによって醸し出されるリアルで臨場感溢れる非情な雰囲気は、ニュース映画風に始まる冒頭から、観る者をいきなり切迫した状況のただ中へグイと引き込むシーゲル独自の演出スタイルと相俟って、映画にこれ以上ないスリルと緊迫感をもたらすこととなった。

いつ爆発するとも知れない怒りや狂気をその不敵な面構えの奥に沸々と煮えたぎらせながら、もっと自由をよこせ！ と、囚人たちの待遇改善を求めて立ち上がる、この映画の主人公を好演するのは、ネヴィル・ブランド。その強烈で際立ったキャラクターは、<em>『殺し屋ネルソン』</em>のミッキー・ルーニーや<em>『殺人捜査線』</em>のイーライ・ウォラック、<em>『突撃隊』</em>のスティーヴ・マックィーン、<em>『ダーティハリー』</em>のクリント・イーストウッド等々、その後の一連のシーゲル映画でお馴染みとなる、タフで非情で反社会的なアンチ・ヒーローの原型となった。また、ブランドよりもさらにいかつく兇暴で、より危険な狂気を孕みながら彼と行動を共にするレオ・ゴードンの存在は、<em>『暴力の季節』</em>(56)のジョン・カサヴェテスに対するマーク・ライデル、<em>『ダーティハリー』</em>のクリント・イーストウッドに対するアンディ・ロビンスン、<em>『突破口！』</em>のウォルター・マッソーに対するジョー・ドン・ベイカー等々、シーゲル映画の主人公たちのネガティヴな分身、鏡像というテーマを際立たせている。

なお、この<em>『第十一号監房の暴動』</em>で、若き日のサム・ペキンパーがシーゲルの使い走りとして映画界の現場に初めて足を踏み入れ、その後も引き続き3本、シーゲルのもとで監督助手を務めることになった。ちなみに、端役出演もした<em>『ボディ・スナッチャー／盗まれた街』</em>で、ペキンパーは脚本も自分が一部手がけたと後に吹聴したが、シーゲル自身はこれを言下に否定していることもここに言い添えておこう。

<em>『第十一号監房の暴動』</em>と並ぶ今回の特集の目玉作品が、やはり50年代のシーゲル映画のベストの1つとして海外の映画マニアの間ではつとに評価の高い<em>『殺人捜査線』</em>。

今回日本で初めて紹介されるにあたって、御覧の通りの邦題がつけられたわけだが、THE LINEUPという原題を持つこの作品(言葉の意味は、犯罪の容疑者たちを整列させて目撃者と対面させる、いわゆる“面通し”のこと)は、もともとは、サンフランシスコを舞台に、事件の捜査にあたる刑事の活躍を描いた同名のラジオ番組(50‐53)。これは、先にNBCがラジオ・シリーズ化(49‐57)していた同型の人気刑事ドラマDRAGNET(こちらはロサンジェルスが舞台となる)に対抗すべく、CBSが作り上げたもの。NBCは51年からDRAGNETをＴＶシリーズ化して全米のお茶の間で絶大な人気を博すようになり(51‐59、67‐70　日本での放映題は「ドラグネット」。「再現ファイル・捜査網」「ロス市警犯罪ファイル　ドラグネット」の題で一部ソフト化もされている)、CBSも、54年にようやくTHE LINEUPのＴＶ化に踏み切って、まず30分のパイロット版を試作した後、ＴＶシリーズ化(54‐60)して成功を収めた(シンジケーション局ではSAN FRANCISCO BEATと改題され、日本での放映題も「サンフランシスコ・ビート」。30分から60分番組に昇格後は「捜査線」)。そのＴＶパイロット版の演出を手がけたのが、ほかならぬシーゲルで、当時はまだチャールズ・ブチンスキー名義で、後に<em>『テレフォン』</em>(77)の主演を務めるチャールズ・ブロンスンも出演した。

そして58年、シーゲルがTHE LINEUPをあらためて長編劇映画として作り直すことになったわけだが(最近すっかり邦画界で主流となっている、お茶の間で人気を博しているTVドラマを映画化するというメディア・ミックスの試みは、決していまに始まったことではない！)、それにあたってシーゲルは、元のTVシリーズとはあくまで一線を画した映画作りを試みている。先述した通り、この番組は本来、事件の捜査にあたる刑事たちに焦点を当てたドラマ作りがなされているのに対し、シーゲルは、TVの主役陣の登場は必要最小限に抑え、TVシリーズとはまるで関係のない2人組の殺し屋を新たに物語の主軸に据えた、彼独自のクライム・サスペンスを生み出したのである(シーゲル自身は、この映画がTVシリーズの単なる延長と見られるのを嫌って、THE LINEUPという題をつけることに反対し、実際この映画は、TV版の主役陣の1人、トム・タリーは出てこないし、TVシリーズとは何の関係もない、として、THE CHASEという題の方がふさわしいだろうと主張したが、会社の首脳陣に受け入れられずに終わった)。

<em>『殺人捜査線』</em>は、開巻早々、あれよあれよという間に、サンフランシスコの港で思いもよらぬ意外な事故が発生する様子を、シーゲルならではの素早いモンタージュで描き出すところから、猛ダッシュで物語がスタートする。そしてサンフランシスコ警察の刑事たちが事件の捜査に乗り出し、やがて、外国帰りの船客たちを、当の本人にはそうと気づかれぬまま、運び屋として利用するという巧みなやり方で麻薬を国内にひそかに持ち込む犯罪組織の存在が浮かび上がったところで、いよいよ、この映画の主役たる2人組の殺し屋の登場とあいなる。

この2人組の殺し屋を鮮烈に演じているのが、その後、クリント・イーストウッド主演のマカロニ・ウェスタン<em>『続・夕陽のガンマン　地獄の決斗』</em>(66セルジオ・レオーネ)で“汚い奴”を演じるイーライ・ウォラックと、<em>『最前線』</em>(57 アンソニー・マン)でシェル・ショック状態の大佐に扮したロバート・キース。一見ごく普通のビジネスマンのようでいて、いったんキレるや、たちまち兇暴な性格を顕わにする前者と、そんな彼を何とかなだめすかしながら理性的にことを進めようとする後者というこの殺し屋ペアは、先の<em>『第十一号監房の暴動』</em>でも指摘した、シーゲル映画における主人公とその鏡像的分身という関係性をよく表わすと同時に、それが、後の<em>『殺人者たち』</em>におけるクルー・ギャラガー＆リー・マーヴィンの殺し屋ペアへとダイレクトに受け継がれていくことになる。

映画は、この2人が、麻薬の運び屋を務めることになった船客たちから順にブツを回収していく様子と、そこで思いがけない手違いが生じたことから、麻薬組織を操る正体不明の黒幕とじかに対面することとなったウォラックの気になる運命を、クールなタッチでスリル満点に描きだしていくわけだが、そこから先は、ぜひ見てのお楽しみとしておこう(なお、このあと紹介するジェームズ・エルロイの映像コメントも、ぜひご参照あれ)。

<a href="http://eiganokuni.com/feature/2008/06/_1_3text_by.php">ドン・シーゲル特集 ＜その3＞へ</a>


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    <title>ドン・シーゲル特集 ＜その1＞　　Text by 桑野 仁</title>
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    <published>2008-06-03T02:40:09Z</published>
    <updated>2008-06-05T04:35:22Z</updated>
    
    <summary>この7月、WOWOWで、今は亡き犯罪活劇映画の名手、ドン・シーゲル(1912-9...</summary>
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        この7月、WOWOWで、今は亡き犯罪活劇映画の名手、ドン・シーゲル(1912-91)が1950年代に放った、日本ではこれまでほとんど知られることのなかった貴重な4作品が、「ドン・シーゲル　知られざる傑作」特集と題して放映される。
        <![CDATA[文字通りTHE LINEUPの原題を持つ<em>『殺人捜査線』</em>を含む4作品のラインナップは、製作年順に以下の通り。

<ul>
<li><a href="http://www.wowow.co.jp/schedule/ghtml/020780001V1_main.html"><em>『中国決死行』</em></a>(53／原題：CHINA VENTURE)</li>
<li><a href="http://www.wowow.co.jp/schedule/ghtml/020844001V1_main.html"><em>『第十一号監房の暴動』</em></a>(54／RIOT IN CELL BLOCK 11)</li>
<li><a href="http://www.wowow.co.jp/schedule/ghtml/020779001V1.html"><em>『殺人捜査線』</em></a>(58／THE LINEUP)</li>
<li><a href="http://www.wowow.co.jp/schedule/ghtml/020778001V1.html"><em>『グランド・キャニオンの対決』</em></a>(59／EDGE OF ETERNITY)</li>
</ul>

シーゲルは、<em>『彼奴は顔役だ！』</em>(39)、<em>『カサブランカ』</em>(42)をはじめ、最盛期のワーナーの数々の名作にモンタージュ監督や第2班監督として携わった後、45年、ついに監督に昇格。以後、<em>『ボディ・スナッチャー／盗まれた街』</em>(56)や<em>『突撃隊』</em>(62)、クリント・イーストウッドとの名コンビによる<em>『白い肌の異常な夜』</em><em>『ダーティハリー』</em>(共に71)、そして呪われた遺作<em>『ジンクス』</em>(82)に至るまで、数々の鮮烈な作品を放って活躍し続けた、ハリウッドきってのプロの職人監督の1人であることは、すでに御存知の方も多いだろう。
昨年、<a href="http://www.kingrecords.co.jp/visualpack/youga/donsiegel/index.html">〈ドン・シーゲル コレクション〉</a>と銘打って、<em>『殺人者たち』</em>(64)、<em>『ガンファイターの最後』</em>(69)、<em>『突破口！』</em>(73)、<em>『ドラブル』</em>(74)という、60〜70年代の彼の円熟期を彩る4作品がキングレコードからDVD化されて発売され、DVD-BOXのブックレット解説を担当した筆者は、そこでシーゲルのほぼ半世紀にも及ぶ苦闘の映画人生を詳述しているので、興味のある方は、ぜひそちらを参照して欲しい(なお、今回ここで紹介する<em>『第十一号監房の暴動』</em>の解説は、そちらで書いたことと重複するが、シーゲルが自己の映画世界を確立した最初の傑作として、やはりこれを省くわけにもいかないので、これでも短く縮めて再収録した。あくまでネットで参照可能なサンプル品と思って見て欲しい)。

だが、シーゲルはまた同時に、スタジオ・システムの解体、赤狩り、ＴＶの台頭など、さまざまな影響によって、ハリウッドが急速に崩壊・変質を遂げていく50年代の映画退潮期に、時代の荒波と必死で格闘しながら独自の地歩を築いていった、いわゆる“ハリウッド・フィフティーズ”を代表する実力派映画作家の1人でもある。けれども、シーゲルがハリウッドの弱小映画会社を渡り歩き、乏しい予算と製作日数、そして主役には些か物足りない二線級のキャストなど、苛酷な製作条件の下でプログラム・ピクチャーを作り続けるなか、独自の映画世界を切り拓き、深化させていった肝心の50年代の作品は、これまで日本では、容易に見られるものがごく僅かに限られていた。

<em>『中国決死行』</em>について、シーゲルは、自伝 A SIEGEL FILM の中でこう述べている。
「この映画は、自分ではとても出来がいいと思ったのだが、これっぽっちも世間の関心を引くことはなかった。まさに当時の典型的なシーゲル映画だった。近所の映画館に初日に駆けつけて見なければ、おさらばとなってしまい、後年、ズタズタにカットされ、テレビの箱の中に窮屈に押し込まれた形で、かろうじてお目にかかれるって寸法さ」

ところが、残念ながら、この<em>『中国決死行』</em>にしろ、<em>『殺人捜査線』</em>にしろ、日本では、劇場での公開はおろか、短縮版でテレビ放映される機会すら訪れず、また4作品すべて、ビデオやLD、DVDのソフト化もされずに今日まで至っているような始末(<em>『第十一号監房の暴動』</em>がスペインでDVD化されているのを除くと、残りの3作品は、本国アメリカをはじめ海外でも現時点ではDVD化されていない)。それが今回、実に半世紀もの長い空白期間を経て、ついに、ようやっと、日本の映画ファンの前に伝説的な姿を現すというわけだから、これを快挙であり、事件と言わずして、いったい何と呼ぼう？
というわけで、せっかくのこの貴重な特集企画を、1人でも多くの映画ファンにぜひ見て楽しんでもらいたいという思いをこめ、今回この場を借りて、放映される映画の見どころと作品の成立背景について、個々にもう少し詳しく紹介していきたい。

まずは<em>『中国決死行』</em>から。これは、シーゲルが最初に手がけた戦争映画。物語の内容は、第2次大戦中、飛行機の撃墜により、中国奥地の地元ゲリラの手に落ちた日本のさる将校を、日本軍に先んじて捕虜として確保し、彼と極秘の膝詰め談判を行うべく現地へと向かった米軍部隊の決死作戦の運命の行方を追ったもの。米政府は公式にはあえて否定も肯定もしないだろうが、これは実際に起きた出来事に基づいて作られた映画である。ただし便宜上、場所や人名は変更してあるが、…という作品冒頭の前置きは、むろんＢ級的なプロットを始動させるためのギミックであって、額面通りに受け取る必要はさらさらなく、また、ここでネタバレをするワケにはいかないが、ラストのオチも、とりわけ今日の日本人の観客の立場からすると、多分に問題があることは否めないのだが、それは劇中の主人公の台詞同様、「自分には話が大きすぎて手に負えない」と言い捨てておいて、とりあえず先に話を進めよう。

この<em>『中国決死行』</em>の製作会社はコロムビアで、いちおうハリウッドのメジャー会社の1つであるとはいえ、しょせん二流の弱小会社。劇中、さまざまな危難を潜りぬけながら中国奥地のジャングルを切り拓いて進む主人公たちの行軍が、映画の見どころの1つとなるが、それは当然、現地ロケなどではなく、コロンビアが所有する野外撮影用地のステージをジャングルに仕立てて撮影されたもの。しかしシーゲルは、ワーナー時代にモンタージュ監督として鍛えた巧みな撮影と編集技術で、セットの貧弱さを押し隠し、また、土砂降りの雷雨で部隊の一行が立ち往生を余儀なくされる場面の撮影では、ステージを丸ごと押し流してしまうほど大量の水を溢れ出させて(まるで<em>『ドラブル』</em>の中の、あのワインの噴出場面のように！)、スタジオのお偉方たちをすっかり慌てさせたという。

物語の後半、部隊の一行は、ようやくめざす目的地に辿り着いて、日本人将校を捕虜にした中国人ゲリラと接触し、やがてその親玉が、まさに蛮族の王よろしく、物々しい太鼓の響きと共に、行列を従え、文字通り、鳴り物入りで登場する。そして、どこかパンダを思わせる丸い童顔のこのゲリラの親玉は、薄気味悪い笑みを浮かべながら、「わたし、アメリカ人、好き。私、アメリカのドルも大好き」と、たどたどしい英語で米軍の一行に語りかけ、ことと次第によっては他国と交渉することもちらつかせながら、日本人将校を米軍に引き渡すための、さらなる高額の身代金を要求することになる。

後にあらためて述べる通り、シーゲルは50年代、<em>『殺し屋ネルソン』</em>(57)のミッキー・ルーニーをはじめ、危険で兇暴でどこか狂気を孕んだ反社会的なアンチ・ヒーローたちを時代に先駆けて次々と造型して、独自の評判を築いていくわけだが、本作でのこの親玉の描き方は、その先駆的な例の1つというよりはむしろ、ハリウッドが長年、東洋人を不可解で得体のしれない、いわゆる“イエロー・フェイス”として誇張的に描いてきた、ステレオタイプの伝統表現の1つと見た方が適切だろう。この悪玉役を演じているのは、中国人俳優などではなく、もとはウィーン生まれで、このテのあやしげな悪役を得意とした白人の性格俳優レオン・アスキン(日本でいえばさしずめ、日活無国籍アクションにおける藤村有弘といったところか)。そして劇中の物語は、この度し難いゲリラの親玉を相手に回して、米軍部隊がいかにして難局を乗り切るかに焦点が絞られていくわけだが、そのあたりの展開は、どこか、本作よりも後に作られる、同じ中国の辺境の地を舞台にしたジョン・フォードの遺作<em>『荒野の女たち』</em>(65)を思わせるとだけ述べて、そろそろ次の作品に移ろう。

<a href="http://eiganokuni.com/feature/2008/06/_1_2text_by.php">ドン・シーゲル特集 ＜その2＞へ</a>


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    <title>アンソニー・マン　その初期作品紹介 第4回　　Text by吉田広明</title>
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    <link rel="service.edit" type="application/atom+xml" href="http://mermaidfilms.sakura.ne.jp/mt/mt-atom.cgi/weblog/blog_id=10/entry_id=79" title="アンソニー・マン　その初期作品紹介 第4回　　Text by吉田広明" />
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    <published>2006-08-31T01:00:00Z</published>
    <updated>2006-10-05T02:31:46Z</updated>
    
    <summary>「1947年は私にとって重要だ。その年、私は批評的にも、商業的にも成功を印した」...</summary>
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        <![CDATA[<p>「1947年は私にとって重要だ。その年、私は批評的にも、商業的にも成功を印した」(サン・セバスチャン映画祭カタログより。もとはジャン＝クロード・ミシアンによるカイエ誌所載インタビュー)。47年マンは三作のノワールを発表するが、そこにはようやく本人が脚色にも関わった初めての作品<em>『Desperate(死に物狂い)』</em>と、真のデビュー作と本人が言う傑作<em>『T-Men(Tメン)』</em>が含まれている。この年をもって、アンソニー・マンは真にアンソニー・マンとなるのである。</p>]]>
        <![CDATA[<p><em>『Desperate』</em>はRKO作品。マン自身とドロシー・アトラス(映画に携わったのはこの作品限りらしい)が二週間でシナリオ(原案？) を書いた。さらにフィル・カールソン<em>『アリバイなき男』</em>(52)のハリー・エセックスが脚本にクレジットされている。12日間、1000ドルで撮影されたという。</p>
<p>結婚4ヶ月の記念日を迎えるスティーヴ(スティーヴ・ブロディ)とアン(オードリー・リング)。その日アンは、子供が生まれることをスティーヴに告げようとしていた。同じ日運送屋のスティーヴは高級の仕事を依頼される。しかし現場の倉庫に行って見ると、運ぶのは盗品らしいことに気づき、ボスのウォルト(レイモンド・バー)に自分は帰る、というが拳銃を突きつけられてしまう。ガードマンにライトで事態を知らせると、たちまち撃ちあいになり、逃げ遅れたウォルトの弟だけが捕まってしまう。</p>
<p>ウォルトはスティーヴに自分が首領だと自首させようとするが拒否、しかし妻の顔がどうなってもいいのか、と脅され、承知する。しかし警察に連れられる途中で逃げ出したスティーヴはアンと共に、アンの叔母の農場へ逃亡する。ウォルトはスティーヴのトラックのナンバーを通報、スティーヴは強盗犯として指名手配される。一方スティーヴのアパートを探り、アンの叔母の手紙を見つけ出した一味は探偵を農場に送り、探らせる。出頭して無罪を主張する決意を固めたスティーヴは地元警察に行くが、警部フェラーリ(ジェイソン・ロバーズ・シニア)は無実だというなら逮捕はしない、と取り合わない。</p>
<p>一方ウォルトのもとに報告に行った探偵は、警察に後をつけられており、ギャングのアジトで銃撃戦となり、ウォルトは撃たれて大怪我をする。それが癒えた数ヵ月後、ウォルトが農場にやってくるが、叔母夫婦のおかげですんでのところで逃げおおせる。しかしバス車中でアンは陣痛を起こし、病院で娘を出産。新たな土地で仕事を見つけたスティーヴらをウォルトが探し当てる。その日はまさにウォルトの弟が死刑になる日だった。</p>
<p>街で狙撃されたスティーヴは妻らをバスで逃がし、部屋に帰ったところをウォルトらに待ち伏せされる。ウォルトは、深夜12時に死刑になる弟と同じ時間にお前を殺してやる、とその時間を待つ。何かと邪魔の入るアパートを出ようとしたところを待ち伏せたフェラーリ警部らが襲う。建物の上階の方へ逃げたウォルトをスティーヴが追う。階段での銃撃戦で、ウォルトは撃たれ、まさに12時に死ぬ。</p>
<p>電話口に出たギャングの顔に下から当てたライトが不気味な影を生み出す辺りからノワール・ルックが全開、裸電球一個、ローキー、極端な仰角で捉えられるギャングのアジトが素晴らしい。スティーヴを痛めつける場面では裸電球が激しく揺れ、スティーヴや立って見ているウォルトらを時折照らし出すだけなのがかえって暴力の凄まじさを感じさせる。カメラはニコラス・レイ<em>『夜の人々』</em>(48)を撮ることになる名手ジョージ・E・ディスカント。</p>
<p>また筒井武文も指摘するように(<em>『リテレール別冊３、映画の魅惑』</em>メタローグ93)、ラストの、仰角と俯瞰を組み合わせた見事な階段の撃ち合いは、崖や山頂で展開されるマンの西部劇を予告する。さらに、弟を溺愛する余り、弟と同じ時間に主人公を殺そうとするウォルトの、狂気すれすれの歪んだ愛情もいかにもマン的である。物語とルックが完全に調和し、そのどちらにおいてもマンらしさが発揮された最初の作品と言っていいだろう。巻き込まれ型の物語だが、新婚の妻を連れて、と言う辺り新味がある。冒頭、二人は新婚四ヶ月で、妻は子供が生まれることを告げようとするまさにその日に事件が起こり、叔母の家を出たその日に陣痛を起こす、という具合に、赤ちゃんの存在が物語のリズムを作る。是非とも日本でのスクリーン上映を望みたい作品の一つ。</p>
<p>47年にマンが撮ったもう一本の作品がPRC製作、イーグル・ライオン配給の<em>『偽証Railroaded!』</em>(TV放映のみ)。脚本のジョン・H・ヒギンズはマンのノワール怒涛の三部作<em>『T-men(Tメン)』</em>、<em>『ひどい仕打ち』</em>、<em>『夜歩く男』</em>(マンが途中まで監督、名義はアルフレッド・ワーカー)の脚本、さらに49年の<em>『Border incident(国境事件)』</em>の原作、脚本を担当することになる。</p>
<p>裏でノミ行為を行う美容院に、閉店後二人組の強盗が入る。美容院の従業員クララ(ジェーン・ランドルフ)が手引きしたのだ。たまたま警官が通りかかり、撃ち合いになって、警官は死ぬ。強盗の一人も撃たれる。彼らは覆面のスカーフをワザと落とし、洗濯屋の車で逃げる。洗濯屋の配送員スティーヴ(エド・ケリー)は無実を主張するものの、スカーフが彼のものである上、クララのニセの証言、捕まった強盗の一人の偽証により逮捕される。スティーヴの姉ロージーは弟の無実を信じ、クララを問いただす。クララの恋人で主犯のデューク(ジョン・アイアランド)は、プレッシャーの余り酒浸りのクララを隠れ家に隠し、一方でロージーに近づく。</p>
<p>一人スティーヴは無実ではないかと感づき始めた刑事ミッキー(ヒュー・ボーモント)はクララの身辺を洗い、デュークの存在をかぎつける。身辺の不安を感じたデュークはクララと違う証言をした美容院の従業員を消す。クララは自分も消されるのではと、ミッキーから渡されていた連絡先に電話するが、ミッキーと会う前にデュークに殺される。警官殺しとクララ殺しの銃弾が同じものであることで真犯人はデュークと判明。一方デュークはクララが連絡した先がロージーの自宅であることを知り、ロージーを殺そうとするが…</p>
<p>巻き込まれ型の物語構造は前作<em>『Desperate』</em>と同工ながら、こちらはその本人が主人公ではない分、いささかサスペンスは薄い感があるが、その分ジョン・アイアランドの人物造形が光る。自分が陥れた相手の姉に言い寄るサディスト、自分のボスを平気で裏切り、殺して金を奪う人でなし(その場面はディープ・フォーカスを用い、デュークが戸口から入り、ボスを撃ち殺すまでワンショット)。なおかつ銃弾に香水の匂いを沁み込ませているサイコパス！(サン・セバスチャン映画祭カタログにはそう書いてあるが。筆者が見た限りポケットに香水を沁み込ませたハンカチと拳銃を入れているのでその移り香のような気がする)。また、強盗の片割れが、瀕死の床で偽証をする場面は、偽証そのものに言葉を用いず映像で処理する素晴らしい演出。何故か包帯で顔の下半分を覆われ、話が出来ないその男は、警官にイエスなら右手を動かせと言われ、こいつがパートナーか、との問いに、スティーヴを見つめながら、ゆっくりと右手を握るのだ。</p>
<p id="caption">DVDが米、<a href="http://www.kino.com/video/item.php?film_id=303">Kino Video</a>より出ている。</p>
<p>本作は独立系製作者の組織PRC(プロデューサーズ・リリーシング・カンパニー)製作で、製作会社の指図を比較的受けることなく撮影することが出来た。PRCの社長ロバート・ヤングはイギリスの事業家アーサー・ランクと共に46年配給会社イーグル・ライオン社を設立。そこで本作はPRC制作、イーグル・ライオン配給となるが、イーグル・ライオンが独立プロに出資し、製作を任せる体制に入ると、PRCの存在意義は薄まり、49年のイーグル・ライオン国際フィルムの誕生により自然消滅した。マンの次回作<em>『T-Men(Tメン)』</em>はエドワード・スモール・プロダクション、リライアンス・ピクチャー製作、イーグル・ライオン配給となる。</p>
<p>いずれにせよマンが思う存分やりたいようにやることが出来るようになり、傑作を連発するに到ったのは独立プロの製作下であったわけだが、それも実はハリウッド映画の製作体制の変化と相即している。翌48年、いわゆるパラマウント訴訟で、アメリカ連邦最高裁判所は独禁法に基づく製作＝配給の分離を命じる判決を出し、アメリカメジャーの体制は、全作自社製作＝配給のプログラム・ピクチャー時代から、一本一本の企画主導の製作、あるいは製作外注時代へと大きな変動を迎えることになるのである。マンの個性は、製作＝配給一体のプログラム・ピクチャーから離れることで発揮されるに到ったのであり、確かにマンはこれまで述べてきたように40年代を通じて初期作品を撮り、中には優れた作品もあったものの、マンが真にマンとなったのはやはり50年代、しかもそれは単に年代的にそうであった以上に、ハリウッドの体制の変化と密接に関係している。その意味で、マンは典型的な50年代作家であったと言えるのである。</p>
<p>以上、マンの初期作品を紹介してきた。彼が生涯に撮った作品はおよそ40本、うち10本がこの時期に撮られている。マンの本領は確かに以降のノワール期、ウェスタン / 史劇期にあるとは言え、この初期作品にも見るべきものは多い。繰り返しになるが、現在日本ではノワール期の傑作すら容易に見られない。それらが観られる環境が出来ることを願って止まない。</p>]]>
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    <title>アンソニー・マン　その初期作品紹介 第3回　　Text by吉田広明</title>
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    <published>2006-08-28T01:00:00Z</published>
    <updated>2006-10-05T02:31:27Z</updated>
    
    <summary>45年、マンは三本の作品を撮る。『たそがれの恋The great Flammar...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://eiganokuni.com/feature/">
        <![CDATA[<p>45年、マンは三本の作品を撮る。<em>『たそがれの恋The great Flammarion』</em>(TV放映のみ)はウィリアム・ワイルダー(ビリーの兄)製作、リパブリック配給の犯罪メロドラマ(ノワール)。名優にして名監督エリッヒ・フォン・シュトロハイムが主演。</p>]]>
        <![CDATA[<p>15年前の失恋から女に心を閉ざしていた拳銃曲撃ち芸人フラマリオン(シュトロハイム)は、アシスタントのコニー(メアリー・ベス・ヒューズ)にたぶらかされ、コニーの亭主アル(ダン・デュリア)を事故に見せかけて撃ち殺す。しかしコニーは、飲酒癖のアルに愛想を尽かし、厄介払いするためにフラマリオンを利用しただけで、自転車乗りの男と出奔する。メキシコまで彼女を追いかけたフラマリオンは、彼女に嘲られて逆上し、彼女を絞殺するが、自分も撃たれて死ぬ。</p>
<p>撃たれたフラマリオンが過去をナレーションで回想する形式、男の運命を狂わせるファム・ファタルの存在と、典型的なフィルム・ノワール。いささかありきたりなストーリーだが、シュトロハイムの不気味にして滑稽な存在感(女と待ち合わせるホテルで嬉しさの余り踊ってしまう)と、マンの巧みな演出で見せる。若い女に言い寄られて動揺するフラマリオンが、移動のための列車の最後尾でただ線路を見つめている、その後方へ過ぎ去る線路の映像に、「あれが終わりの始まりだった…」とナレーションが被さる、その宿命論的叙情。　</p>
<p>またコニーが遂に殺される場面はワンショットで描かれ、しかも必死に言い訳するコニーが、フラマリオンの置いた銃を奪うと、ころりと態度を変え、彼をののしり、嘲り、さらに迫るフラマリオンに怯え、拳銃を発射するまでの、事態の変遷に連れ、二人の位置がゆるやかに変わり、それに連れ変化する光線が、構図や陰影を変えてゆく視覚的に巧みな演出(最後、コニーはカーテンの裏に回り、影絵となって殺される)。シュトロハイムは全編を彼のモノクル(片メガネ)を通して撮るというアイディアを提示したが(<em>『アルプス颪』</em>の冒頭のような？) 無論採用はされなかった。</p>
<p id="caption">DVDが米、仏で出ている。 <a href="http://www.oldies.com/product-view/4978D.html">アメリカ版</a> / フランス版</p>
<p><em>『Two o’clock courage(二時の勇気)』</em>は記憶喪失の男が、自分が犯したかもしれない犯罪の無実を晴らすため、女性協力者と事件の真相を探るRKOのノワール。36年のベンジャミン・ストロフ監督<em>『Two in the dark(暗闇の二人)』</em>のリメイク。そのストロフが今回の製作担当者。筋は、観ても、上記Turner classic moviesのあらすじを読んでも、入り組みすぎてさっぱり分からないので省略。Two o’clock courageという題名の劇の著作権と、女優のスキャンダルとを巡って起きた殺人事件らしい。霧の夜、雨に濡れた路上、記憶喪失の男の動きを模すようにふらふらとよろめく冒頭のカメラの動きが印象的。なお、主人公の恋人然としてヒロインを悩ませる女を、二年後<em>『過去を逃れてOut of the past』</em>(TV放映、DVD発売)で、ファム・ファタルのアイコンと化すジェーン・グリア(ここではベティジェーン・グリアの芸名)が初クレジットで演じている。</p>
<p id="caption">DVDがスペイン、<a href="http://www.mangafilms.es/">Manga films</a>より出ている。</p>
<p><em>『Sing your way home(歌いながら帰ろう)』</em>はRKOのミュージカル・コメディ。第二次大戦がまだ終わらない中、自己中心的なジャーナリスト、キンボール(ジャック・ヘイリー)はフランス、シェルブールから船でアメリカに帰ることになり、ヨーロッパに引き止められていた十数人の少年少女の楽団の面倒をみることになる。少年少女の中に一人、ヨーロッパで親とはぐれて、アメリカに帰る機会を探していた少女ブリジット(マーシー・マグワイアー)がいた。キンボールは通報しようとするが思いとどまり、新聞社への連絡のための暗号製作者として雇うことにする。通信員に自分の電文を優先するよう賄賂を贈ったのが船長の逆鱗に触れたため、電信でのやり取りが出来なくなったキンボールは、暗号「ラブ・コード」で、通信文をラブ・レターに変換し、ブリジッドの恋人への恋文を隠れ蓑に使うのだ。</p>
<p>船上には同じくアメリカに帰る歌手ケイ(アン・ジェフリーズ)がおり、女になど興味はない、と言いながらキンボールは次第に彼女に惹かれ、ケイも憎からず思うように。しかしたまたま暗号文を読んでしまったケイは、それを他の女への恋文と勘違いし、怒った彼女は勝手に数行を書き加える。しかし暗号解読すれば、その文はキンボールの提案した和平案を連合軍が受け入れたと読めるようになっていた！キンボールは船上から放送するラジオニュース番組の枠を楽団に提供、船上では一大ショーが繰り広げられる。船はいよいよニュー・ヨークに到着、ただちにキンボールは捕らえられ、キンボールの電文を大々的に伝えた新聞社の編集者ともども留置場に。真相をブリジットから知ったケイによって釈放されたキンボールは、ケイと結ばれる。</p>
<p>かなり無理な設定。<em>『オズの魔法使い』</em>(39)のブリキ男役で知られるジャック・ヘイリーが主演だが、演技がはじけ切らず、あまり笑えないのが難。結局「ラブ・コード」なる奇天烈なアイディア、アカデミー賞歌曲賞にノミネートされたI’ll buy that dreamを含む歌の数々が見所。</p>
<p id="caption">DVDがスペイン、<a href="http://www.mangafilms.es/">Manga films</a>より出ている。</p>
<p>46年、リパブリック、ウィリアム・ワイルダー共同製作、リパブリック配給でノワール<em>『仮面の女Strange impersonation』</em>(TV放映のみ)。女性科学者ノラ(ブレンダ・マーシャル)は同僚の婚約者スティーヴン(ウィリアム・ガーガン)に結婚を急かされているが、後一歩で完成の麻酔薬の実験に夢中だった。しかし実験中、同僚のアーリーン(ヒラリー・ブルック)に裏切られ、顔を損傷、数ヶ月を経て一旦退院するものの、実験の日に車で轢きかけて慰謝料を与えておいた女ジェーン・カランスキ(ルース・フォード)が脅迫にやってきて諍いになり、誤って彼女をアパートのベランダから突き落としてしまう。ノラから奪った金品を身につけていたため、ジェーンはノラと間違われ、ノラは世間的には死んだことになる。ノラはジェーンに成りすまし、整形手術で顔を変えるが、その間にアーリーンはスティーヴンと結婚していた。</p>
<p>　真相に感づいたノラは、ノラの文通相手のジェーンと名乗り、スティーヴンの助手として雇われる。スティーヴンの心は彼女に傾き始め、批難するアーリーンに正体を明かし、彼女を離婚に同意させたノラはパリへの出張にスティーヴンと出ようとする。その当日、空港に、事故の日本物の方のジェーンをけしかけて示談金をせしめようとしていた、こすからい弁護士助手リンス(ジョージ・チャンドラー)が現れ、彼女を告発。刑事の尋問に、ジェーンである自分にノラ殺害の容疑がかかっていることを知った彼女は、自分こそがノラだと告白するが、誰も信じてはくれない。絶望の余り気絶した彼女が目覚めた時、意外な真相が明らかになる。</p>
<p>前半部の実験室やアパートメントの白さと、後半部の明かりを抑え、ブラインドで縞状の翳を帯びた薄暗い室内の対比。しかし何よりも、警察の尋問室で、極端な仰角に、強いスポットライトの光の中のノラと、その背後の暗がりに立つリンスを強烈な対照で捉えたディープ・フォーカス画面がいかにもマン的。いきなり崩壊する日常、執念ゆえに主人公が入り込む悪夢的状況は、以後もマンが繰り返し取上げる主題となる。絶妙なタイミングで現れて画面を湿らせる陰険なリンスの存在感も忘れがたい。</p>
<p id="caption">DVDが米、<a href="http://www.kino.com/video/item.php?film_id=303">Kino Video</a>より出ている。</p>
<p>同年のRKO<em>『Bamboo blonde(バンブー・ブロンド)』</em>はマン最後のミュージカル・コメディ(音楽ドラマは<em>『グレン・ミラー物語』</em>や<em>『愛のセレナーデ』</em>などがあるが、ミュージカル・コメディとしては最後となる)。共同脚本に<em>『My best gal』</em>と同じオリーヴ・クーパー。</p>
<p>大繁盛の「バンブー・ブロンド」社の社長エディ(ラルフ・エドワーズ)が、新聞記者のインタビューを受け、社の成功の由来を話す。数年前、戦地に向かう前夜の新兵パット(ラッセル・ウェイド)が、仲間との待ち合わせ場所に行くが、そこはエディの経営する「兵隊立ち入り禁止」のナイトクラブだった。金持ちの坊ちゃんで世間知らずのパットを仲間がからかったのだ。憲兵の手入れがあり、逃げ込んだ先は歌手の着替え室で、そこには歌手のルイーズ(フランシス・ラングフォード)がいた。ルイーズはパットが発つまで一晩中付き合い、土産をどっさり買い与え、さらに記念にとインスタント写真を撮って渡す。</p>
<p>パットの配属された飛行機はまったく成果を上げられなかったが、仲間の一人が縁かつぎにルイーズの似姿を「バンブー・ブロンド」とあだ名をつけて機体にペンキで描くと、途端に大いに戦果が上がり、その噂はたちまち新聞を通じて拡がった。それを知ったエディはルイーズを本物のバンブー・ブロンドとして売り出す。軍も、パットら一隊を戦争債キャンペーンに狩りだし、パットとルイーズが共同でツアーを組む。</p>
<p>次第に仲良くなる彼らに業を煮やしたのは、パットの「婚約者」アイリーン(ジェーン・グリア)。ルイーズに、自分と言う存在があることと、身分の違いを悟らせ、手を引かせようとし、一旦はそれに成功するが、しかしパットがルイーズの飾り気のなさが好きなのだし、アイリーンとはなんでもないとの言葉に婚約を承諾する。それを知ったアイリーンは、お祝いと称し、自分の地所でパーティを開くが、パットの両親は、身分違いの結婚に反対なので来ていない、とのアイリーンの言葉にルイーズは絶望し、NYに帰ると言い出す。では飛行機で送ってゆくというパット。しかし霧で迷ってしまったパットはある場所に不時着。しかしそここそパットの故郷だった。ルイーズはパットの両親に温かく迎えられる。</p>
<p>主演のフランシス・ラングフォードはディック・パウエルやボブ・ホープのラジオ・ショーの常連歌手、特に戦時中はこの映画にあるようにボブ・ホープのショーで各地を回っていた。マイケル・カーティス<em>『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』</em>(42)ではジェームズ・キャグニーと共演。ベイシンガーによれば、当時のB級映画は、潤沢な予算は使えなかったため、現実的なセットや衣装を用いざるをえなかった、それが逆にこの映画に誠実さ、今日見てもなお感じられる新鮮さを与えている、と言う。また動き回るカメラがアクションを高めている、とも。しかし筆者の方から言える事は何もない。全体にマンのミュージカル、話自体は確かに覚えているのだが、細かい場面の演出についてあまり記憶がないのである。ミュージカル鑑賞の能力が欠けているのか？わざわざ海外まで見に行ってこの体たらく。お恥ずかしい限りだ。</p>]]>
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    <title>アンソニー・マン　その初期作品紹介 第2回　　Text by吉田広明</title>
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    <published>2006-08-24T01:00:00Z</published>
    <updated>2006-08-25T08:13:53Z</updated>
    
    <summary>第二作『Moonlight in Havana』はユニヴァーサル製作配給のミュー...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://eiganokuni.com/feature/">
        <![CDATA[<p>第二作<em>『Moonlight in Havana』</em>はユニヴァーサル製作配給のミュージカル・コメディ。主演は<em>『ショウ・ボート』</em>(36)のアラン・ジョーンズ。ジョニー・ノートン(アラン・ジョーンズ)は、言うことを聞かないのでクビになったキャッチャー。スカンピンの彼が、知り合いのレストランのキッチンで、歌を聞かせる代わりにタダ飯を食わせてもらっていると、たまたまレストランに客として来ていた楽団のプロデューサーがその歌を聴いて彼をスカウト。彼は風邪で鼻声のときしかうまく歌えないのだが、楽団がハヴァナ公演に行くと聞き、引き受ける。実は彼の元の野球チームもハヴァナでキャンプを張っているのだ。</p>]]>
        <![CDATA[<p>彼は楽団のグロリア(ジェーン・フレイジー)を好きになるが、一方、球団社長の娘パッツィ(マージョリー・ロード)も彼を好いていて、彼がチームに戻れるよう画策してくれていた。しかし、復帰のための試合の日は、まさに楽団の公演の日でバッティングしてしまう。ところが折からハヴァナは雨となり、試合は中止、さらに風邪を引いてうまく歌えて一石二鳥、財政難に苦しんでいたチームはジョニーの人気のおかげでスポンサーを得、パッツィはジョニーをグロリアに譲り、二人は結ばれる。</p>
<p>ベイシンガーは、十分な上映時間が確保できるA級のミュージカルにおいてはストーリーが中身、音楽はその衣装に過ぎない一方で、十分な上映時間が確保できず、そのくせ数曲のナンバーを入れねばならないB級ミュージカルでは、音楽こそ中身、ストーリーは二の次になるとして、物語を発展させるための技巧の発揮のしようもないとして、本作を始めとするマンのB級ミュージカル・コメディ(全部60〜70分程度)をまったく評価していない。しかし、キャッチャーにして歌手という、馬鹿馬鹿しいといえば馬鹿馬鹿しいけれど、二重性を持った存在はマンらしいといえばマンらしいようでもある。また風邪を引いていないとうまく歌えないので、風邪を引かそうと冷たいシャワーを浴びせようとする楽団マネージャーと、風邪を引いていてはうまくプレーできないと、熱いシャワーの後ゆっくり寝かせ、風邪を治そうとする野球チームマネージャーがかち合う辺りのスラップスティックに、会場は大いに沸いていた。</p>
<p>続く二作品、共にリパブリックの<em>『Nobody’s darling(誰のダーリンでもない)』</em>(43)、<em>『My best gal(ぼくの一番の女の子)』</em>(44)も、ミュージカル・コメディ。前者は、ショービジネスの子弟を集めた寄宿舎で、ショービジネスの勉強をしている有名な俳優夫婦の娘ジェイニー(メアリー・リー)、親にも同級生にもその実力を認めてもらえない彼女が、好きな男の子(劇作家志望)や両親に認めてもらい、学内のミュージカル(当然好きな男の子が書いた)で主役を演じるまでを描く。後者は、これも祖父も両親もショービジネス(父は巡業？母は死んでいて、引退した祖父に育てられている)のドラッグストア店員キティ(ジェーン・ウィザース)、何故かショービジネスを避ける彼女が、恋人の劇作家の卵ジョニー(ジミー・ライドン)のためにスポンサーを見つけ、さらに自身も歌手デビューするまでを描く。</p>
<p>共にショービジネスへのデビューを題材とし、同じオリーヴ・クーパーなる女性脚本家のシナリオ。ただし前者の原案はプレミンジャー<em>『月蒼くして』</em>(53)の原作脚本のF.ヒュー・ハーバート、後者はダッシン<em>『真昼の暴動』</em>(47)の脚本を書き、<em>『危機の男』</em>(50)で監督デビューすることになるリチャード・ブルックスが原案で、共同脚本はフライシャーの<em>『その女を殺せ』</em>(52)で知られるアール・フェルトン。ベイシンガーは一顧だに払っておらず、完全無視。</p>
<p>確かに前者での、最後の舞台場面、空中を飛んでくるトランペットをクレーンで追って始まる長廻し、後者の冒頭、ヒロインの女の子が歌っているのを立ち聞きするアパート前の人だかりの、ほとんどノワール的に不気味な人影が話の内容にそぐわないのがかえって印象に残ってはいたりするものの、カタログのあらすじを読んでも、どんな映画だったかあまり思い出せないような作品であることは確かなのだが…</p>
<p>44年にリパブリックで撮った<em>『Strangers in the night(夜のよそもの)』</em>はなかなかの佳作らしいが、シネマテークでの上映がなく(サン・セバスチャンでもやっていないようだ)、筆者も目にしていない。</p>
<p>あらすじを紹介しよう。南太平洋勤務のアメリカ海軍軍曹ジョニー(ウィリアム・テリー)は、カリフォルニア、モントフローレスのローズマリーという女性と文通している。故郷に帰還したジョニーは彼女に会おうと汽車に乗るが、その汽車は事故を起こし、ジョニーは同じくモントフローレスに向かう女医レスリー(ヴァージニア・グレイ)と共に負傷者を助ける。ローズマリーの邸には母親だと言う老女ヒルダ(ヘレン・スィミッグ)と老女中アイヴィ(イーディス・バレット)がいるばかり、ローズマリーは留守という。帰りを待つため邸に滞在することになるが、アイヴィは彼に何か伝えたそうな様子。ジョニーが女医レスリーを訪ね、彼女を愛していると告げるのを盗み聞きしたヒルダは、女医の評判を落とそうと画策する。</p>
<p>一方ヒルダの精神が異常なことをジョニーに告げようとした手紙を、投函前に見つかったアイヴィはヒルダに殺される。ジョニーは、邸にあるローズマリーの巨大な肖像画を描いた画家を訪ね、ローズマリーがヒルダの想像上の娘であることを知る。邸にやってきたジョニーとレスリーに真実を告白したヒルダは、彼らの車に細工をし、崖から落とそうとする。そのたくらみを知った二人は裏をかいて車を崖から落とし、邸に取って返す。失敗を知ったヒルダがローズマリーの肖像画に助けを求めると、肖像画が落下し、潰されたヒルダは死ぬ。</p>
<p>ベイシンガーによれば、本作のカメラのレジー・ラニング(28年の<em>『キートンのカメラマン』</em>で撮影監督となったベテラン)は、ディープ・フォーカス、大胆なカメラ・アングル、深い陰影を帯びた背景を多用、優れてノワール的な雰囲気をかもし出している。ことに、巨大なローズマリーの肖像画の前で、彼女の「誕生日」を祝って老女二人が乾杯する場面では、ロウソクの揺れる炎が二人の顔を照らし、深い影が肖像画を覆う、表現主義的な空間を実現している。</p>
<p>また、この映画では、産むことが出来なかった娘を想像上で作り上げてしまい、その幻想を守るために次々殺人を犯してゆく老女が描かれるが、マンが以後好んで描くことになる、愛情を歪んだ形で実現せざるをえない、精神的に偏向している人物を取上げるのもこの映画が初めて。ヒルダが真実を語る場面では、ゆっくり彼女に向かってトラックアップするカメラがついに彼女のクロースアップとなる。「あんたが愛していたのは、あたしだったんだよ、ジョニー」。想像するだに恐ろしい場面。是非観たいものだ。映画全体は57分と短い割に台詞が多く、必ずしも全体的に視覚的な緊密さを保つことが出来ているわけでもないようだが、マンらしい映像が初めて確立された作品として、最重要作の一つ。</p>]]>
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    <title>アンソニー・マン　その初期作品紹介 第1回　　Text by吉田広明</title>
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    <published>2006-08-04T02:27:47Z</published>
    <updated>2006-08-21T09:41:34Z</updated>
    
    <summary>紀伊國屋書店から5月に『最前線』、8月に『神の小さな土地』がリリースされる。前者...</summary>
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        <![CDATA[<p>紀伊國屋書店から5月に<em>『最前線』</em>、8月に<em>『神の小さな土地』</em>がリリースされる。前者は朝鮮戦争を舞台とした戦争映画、後者はアースキン・コールドウェル原作の文芸映画と、マンとしては周辺的ジャンルにあたるが、共に公開されている(前者に関してはビデオも発売されている)とはいえ長らく見る機会を奪われていた作品であり、DVDという形ではあっても容易に見られるマン作品がジェームズ・スチュアート主演の西部劇(ユニヴァーサル発売の<em>『ウィンチェスター銃’73』</em><em>『怒りの河』</em><em>『遠い国』</em>の三本)しかない現況にあって、今回の紀伊國屋の二作の発売はマンの全体像を知るに当たり画期的な出来事だ。</p>
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        <![CDATA[<p>細川晋氏の世界DVD発見第九回にもあるように、1906年6月30日生まれのアンソニー・マンは今年2006年生誕100年を迎える。フランスのシネマテークでは一月から二月にレトロスペクティヴが開かれ(第一回と称していたし、実際上映されない作品もあったので、第二回もあるかもしれないが)、筆者も初期作品を中心に巨大スクリーンで目にすることができた。そこで見た作品の記憶（といっても半年経って既にかなりあやしい）と、2004年サン・セバスチャンでのレトロスペクティヴの際に発行されたカタログ(アメリカ映画史家ジーニン・ベイシンガーが79年に出版したマン研究本の採録と詳細なフィルモグラフィ)を頼りに、なかなか観る機会のないその初期作品を紹介することでマン全体像の縁(よすが)とすると共に、日本でのマン人気を少しでも煽りたいと思う。なお、アンソニー・マンの経歴全体については<em>『最前線』</em>封入冊子の細川氏の記述が詳しいので、是非参照していただきたい。</p>
<p>マンがデビューしたのは1942年、当時35〜6歳。プレストン・スタージェス<em>『サリヴァンの旅』</em>(41)の現場で実際の演出にも携わり、編集を見学もして、映画作りの何たるかを学ぶと同時に、スタージェスからは「何にも作らないより、何かひどいものを作った方がまし」という言葉を受け、大いに励まされたという。ちなみにマンが「最も研究した演出家、お気に入りの演出家はジョン・フォード」(カイエ誌69号、シャルル・ビッチとシャブロルによるインタビュー)。「一つのショットで彼は、誰よりも速く、場所、物語内容、登場人物を提示する。彼は物事を視覚的に把握する最高の能力を持っていて、それこそ私が信奉するものだ」(同)。</p>
<p>第一作を撮るきっかけとなったのは、第一作<em>『ドクター・ブロードウェイDr. Broadway』</em>(TV放映のみ)の主演俳優、マクドナルド・ケリー。彼は、34年マンが設立した俳優集団「ストック・カンパニー」の一員であったが、ラジオの仕事で映画プロデューサー、ソル・シーゲルに目を留められ、ハリウッドに招かれた際に、自身の主演作の演出家としてマンを指名した(ジャン＝クロード・ミシアンAnthony Mann：Edition Universitaires 64)。ちなみに「ストック・カンパニー」には後にタッグを組むことになるジェームズ・スチュアートもいた。</p>
<p><em>『ドクター・ブロードウェイ』</em>はパラマウントでの犯罪ものだが、その他に、同年マンはユニヴァーサルでミュージカル・コメディ<em>『Moonlight in Havana(ハヴァナの月影)』</em>を演出。別会社での、まったく違ったジャンルの演出であり、会社の専属という契約ではなく、フリーでの演出家稼業を選択した、ということか。それはともかく、第一作にはその作家の特徴が萌芽的に現れると言われるが、<em>『ドクター・ブロードウェイ』</em>にも後のマンの作品の特徴が既に見て取れるとベイシンガーは言う。ちなみに<em>『ドクター・ブロードウェイ』</em>の原案は、後に<em>『ウィンチェスター銃’73』</em>、<em>『怒りの河』</em>、<em>『遠い国』</em>のシナリオを書くことになるボーデン・チェイス。まずは、後の説明のため少々長くなるが、あらすじを紹介しよう。</p>
<p id="caption">英語ではあるが、演出した41作品のあらすじについてはアメリカのケーブルTV、 <a href="http://tcmdb.com/participant/participant.jsp?spid=121079&apid=14336">Turner Classic Moviesのサイト</a>のものが最も詳細。</p>
<p>ブロードウェイに人だかりがしている。ビルの最上階から女が飛び降りようとしているのだ。たまたまそこに来合わせたブロードウェイの医師ティモシー・ケーン、通称「ドクター・ブロードウェイ」(マクドナルド・ケリー)が彼女に思いとどまらせようと説得に向かうが、実は彼女コニー(ジーン・フィリップス)はコーラスガールで、芝居の宣伝活動だった。人心紊乱で裁判にかけられた彼女をケリーが救い、以後、勝手に彼の助手になる。</p>
<p>折から、かつて彼が命を救い、そして刑務所に入れたギャング、ヴィック・テリ(エドゥアルド・キアネリ)が彼を探している。お礼参りかと思いきや、余命幾ばくもない故に、縁が切れたままの娘を探して十万ドルを届けて欲しいとの依頼だった。テリは貸し金庫の鍵をケーンに託す。しかしテリはケーンの診療室で殺される。娘を名乗る女が現れるが、ケーンは偽物と踏む。コニーは彼女の後を劇場までつけるが、そこで捕われる。女はヴィック・テリの旧知の仲の紳士服屋ヴェナー(キャロル・ナイシュ)に雇われていた。ヴェナーに呼び出されたケーンは、コニーの命と引き換えに、十万ドルを深夜12時までに持ってくるよう脅迫される。</p>
<p>ケーンは親しい街の連中を動因してコニーの居所を探すよう依頼するが、その中の一人が、ヴェナーが逮捕されたとニセ情報を電光掲示板に流すと、コニーを監禁していた一味は浮き足立つ。その隙を縫ってコニーは窓から逃げ出すが、そこはまさに冒頭のビルだった。彼女の姿を見て群衆が騒ぎ出す。警察が部屋に踏み込み、一味は逮捕される。一方ケーンはヴェナーに十万ドルを渡すが、ヴェナーは逃げようとしたところを撃たれて死ぬ。今度は恐怖の余り動けないケリーを駆けつけたケーンが救い、二人はキスする。</p>
<p>ベイシンガーは後のマン作品にも共通して表れる特徴を以下四点あげている。</p>
<dl>
<dt>１、すばやいパン</dt>
<dd>映画の冒頭、人だかりのする街角を捉えたカメラは、急激に上方に振れ、一瞬何が映っているのかも分からなくなるが、このような突然の動きは見るものに不安定感を与える。</dd>
<dt>２、特別な語りの意味を持つ背景</dt>
<dd>ケーンがヴィック・テリに会いにバーに行く場面で、ケーンが進むにつれ、背後で人々が次々そそくさと席を立つ。観客は何が起こっているか分からないまま、不安感をつのらせる。ケーンとヴィック・テリの過去の因縁を知っている連中は、何か危険なことが起こりそうだと逃げ出すわけなのだが、主人公の背景が、「主人公の感情的、説話的状況」を定義する、そのようにマンは、台詞ではなくフレーム内のイメージで意味を示そうとするとベイシンガーは言う。</dd>
<dt>３、暴力的に使用された無害な物体</dt>
<dd>ヴィック・テリはケーンの診療室で殺されるが、顔色が悪いからと、紫外線ランプの治療を施されている最中のことだった。紫外線ランプが凶器というより、目を傷めないように目隠しをしていたので、その無防備なところを狙われた、というところだろうが、いずれにせよマンの暴力シーンでは本来無害なはずのものが凶器として用いられる。</dd>
<dt>４、場面構成</dt>
<dd>コニーがテリの娘を名乗る女性の後をつけ、劇場の楽屋口から中の暗闇に入り込む場面。カメラは暗がりの中に据えられたまま、こちらの方に恐る恐る歩いてくるコニーを映し出すが、右手前にじっと動かぬ人影があり、それが近づいてきたコニーに襲い掛かる。待ち伏せるものと、コニーを切り返したりすることなく、ワンショットで描かれるために、観客自身もコニー同様、闇＝フレームの中を探し、影を見つけて驚くことになる。マンは「観客を巻き込み」、「ストーリー、キャラクター、観客への感情的効果をフレーム内に含みこむ」。</dd>
</dl>
<p>台詞によらず、イメージによって全てを説明すること。説明らしい説明を事前に与えず、見るものをいきなり主人公の置かれた状況の中に投げ込むことで、主人公の情動に観客を同一化させること。そして日常性の中に不意に現れる暴力。これに極端な上下の位置関係などの空間造形(これも１のすばやい上方への動きを考えれば既に第一作に現れていることになる)と、善悪の曖昧な人物造形(これもまたヴィック・テリの、殺し屋ながら同情を誘う設定に既に萌芽はあるのかもしれない)とを加えれば、ほぼ後期までのマンの特徴は確かに出揃うことになるのだろう。</p>
<p>なお、本作の撮影期間は18日(本人のインタビューでは二週間)、中でも三日与えられるはずだった路上のロケ・セットでは、たった一日撮影しただけで、プロデューサーのソル・シーゲルがやってきて、今からセシル・B・デミルがロケで使うから、と追い出されたという(デミルの<em>『絶海の嵐』</em>42は冒険もの、<em>『軍医ワッセル大佐』</em>44は戦争もので、共に都会は舞台ではないが、未見なのでなんともいえない)。</p>]]>
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