アンソニー・マン その初期作品紹介 第1回  Text by吉田広明

紀伊國屋書店から5月に『最前線』、8月に『神の小さな土地』がリリースされる。前者は朝鮮戦争を舞台とした戦争映画、後者はアースキン・コールドウェル原作の文芸映画と、マンとしては周辺的ジャンルにあたるが、共に公開されている(前者に関してはビデオも発売されている)とはいえ長らく見る機会を奪われていた作品であり、DVDという形ではあっても容易に見られるマン作品がジェームズ・スチュアート主演の西部劇(ユニヴァーサル発売の『ウィンチェスター銃’73』『怒りの河』『遠い国』の三本)しかない現況にあって、今回の紀伊國屋の二作の発売はマンの全体像を知るに当たり画期的な出来事だ。

細川晋氏の世界DVD発見第九回にもあるように、1906年6月30日生まれのアンソニー・マンは今年2006年生誕100年を迎える。フランスのシネマテークでは一月から二月にレトロスペクティヴが開かれ(第一回と称していたし、実際上映されない作品もあったので、第二回もあるかもしれないが)、筆者も初期作品を中心に巨大スクリーンで目にすることができた。そこで見た作品の記憶(といっても半年経って既にかなりあやしい)と、2004年サン・セバスチャンでのレトロスペクティヴの際に発行されたカタログ(アメリカ映画史家ジーニン・ベイシンガーが79年に出版したマン研究本の採録と詳細なフィルモグラフィ)を頼りに、なかなか観る機会のないその初期作品を紹介することでマン全体像の縁(よすが)とすると共に、日本でのマン人気を少しでも煽りたいと思う。なお、アンソニー・マンの経歴全体については『最前線』封入冊子の細川氏の記述が詳しいので、是非参照していただきたい。

マンがデビューしたのは1942年、当時35〜6歳。プレストン・スタージェス『サリヴァンの旅』(41)の現場で実際の演出にも携わり、編集を見学もして、映画作りの何たるかを学ぶと同時に、スタージェスからは「何にも作らないより、何かひどいものを作った方がまし」という言葉を受け、大いに励まされたという。ちなみにマンが「最も研究した演出家、お気に入りの演出家はジョン・フォード」(カイエ誌69号、シャルル・ビッチとシャブロルによるインタビュー)。「一つのショットで彼は、誰よりも速く、場所、物語内容、登場人物を提示する。彼は物事を視覚的に把握する最高の能力を持っていて、それこそ私が信奉するものだ」(同)。

第一作を撮るきっかけとなったのは、第一作『ドクター・ブロードウェイDr. Broadway』(TV放映のみ)の主演俳優、マクドナルド・ケリー。彼は、34年マンが設立した俳優集団「ストック・カンパニー」の一員であったが、ラジオの仕事で映画プロデューサー、ソル・シーゲルに目を留められ、ハリウッドに招かれた際に、自身の主演作の演出家としてマンを指名した(ジャン=クロード・ミシアンAnthony Mann:Edition Universitaires 64)。ちなみに「ストック・カンパニー」には後にタッグを組むことになるジェームズ・スチュアートもいた。

『ドクター・ブロードウェイ』はパラマウントでの犯罪ものだが、その他に、同年マンはユニヴァーサルでミュージカル・コメディ『Moonlight in Havana(ハヴァナの月影)』を演出。別会社での、まったく違ったジャンルの演出であり、会社の専属という契約ではなく、フリーでの演出家稼業を選択した、ということか。それはともかく、第一作にはその作家の特徴が萌芽的に現れると言われるが、『ドクター・ブロードウェイ』にも後のマンの作品の特徴が既に見て取れるとベイシンガーは言う。ちなみに『ドクター・ブロードウェイ』の原案は、後に『ウィンチェスター銃’73』『怒りの河』『遠い国』のシナリオを書くことになるボーデン・チェイス。まずは、後の説明のため少々長くなるが、あらすじを紹介しよう。

英語ではあるが、演出した41作品のあらすじについてはアメリカのケーブルTV、 Turner Classic Moviesのサイトのものが最も詳細。

ブロードウェイに人だかりがしている。ビルの最上階から女が飛び降りようとしているのだ。たまたまそこに来合わせたブロードウェイの医師ティモシー・ケーン、通称「ドクター・ブロードウェイ」(マクドナルド・ケリー)が彼女に思いとどまらせようと説得に向かうが、実は彼女コニー(ジーン・フィリップス)はコーラスガールで、芝居の宣伝活動だった。人心紊乱で裁判にかけられた彼女をケリーが救い、以後、勝手に彼の助手になる。

折から、かつて彼が命を救い、そして刑務所に入れたギャング、ヴィック・テリ(エドゥアルド・キアネリ)が彼を探している。お礼参りかと思いきや、余命幾ばくもない故に、縁が切れたままの娘を探して十万ドルを届けて欲しいとの依頼だった。テリは貸し金庫の鍵をケーンに託す。しかしテリはケーンの診療室で殺される。娘を名乗る女が現れるが、ケーンは偽物と踏む。コニーは彼女の後を劇場までつけるが、そこで捕われる。女はヴィック・テリの旧知の仲の紳士服屋ヴェナー(キャロル・ナイシュ)に雇われていた。ヴェナーに呼び出されたケーンは、コニーの命と引き換えに、十万ドルを深夜12時までに持ってくるよう脅迫される。

ケーンは親しい街の連中を動因してコニーの居所を探すよう依頼するが、その中の一人が、ヴェナーが逮捕されたとニセ情報を電光掲示板に流すと、コニーを監禁していた一味は浮き足立つ。その隙を縫ってコニーは窓から逃げ出すが、そこはまさに冒頭のビルだった。彼女の姿を見て群衆が騒ぎ出す。警察が部屋に踏み込み、一味は逮捕される。一方ケーンはヴェナーに十万ドルを渡すが、ヴェナーは逃げようとしたところを撃たれて死ぬ。今度は恐怖の余り動けないケリーを駆けつけたケーンが救い、二人はキスする。

ベイシンガーは後のマン作品にも共通して表れる特徴を以下四点あげている。

1、すばやいパン
映画の冒頭、人だかりのする街角を捉えたカメラは、急激に上方に振れ、一瞬何が映っているのかも分からなくなるが、このような突然の動きは見るものに不安定感を与える。
2、特別な語りの意味を持つ背景
ケーンがヴィック・テリに会いにバーに行く場面で、ケーンが進むにつれ、背後で人々が次々そそくさと席を立つ。観客は何が起こっているか分からないまま、不安感をつのらせる。ケーンとヴィック・テリの過去の因縁を知っている連中は、何か危険なことが起こりそうだと逃げ出すわけなのだが、主人公の背景が、「主人公の感情的、説話的状況」を定義する、そのようにマンは、台詞ではなくフレーム内のイメージで意味を示そうとするとベイシンガーは言う。
3、暴力的に使用された無害な物体
ヴィック・テリはケーンの診療室で殺されるが、顔色が悪いからと、紫外線ランプの治療を施されている最中のことだった。紫外線ランプが凶器というより、目を傷めないように目隠しをしていたので、その無防備なところを狙われた、というところだろうが、いずれにせよマンの暴力シーンでは本来無害なはずのものが凶器として用いられる。
4、場面構成
コニーがテリの娘を名乗る女性の後をつけ、劇場の楽屋口から中の暗闇に入り込む場面。カメラは暗がりの中に据えられたまま、こちらの方に恐る恐る歩いてくるコニーを映し出すが、右手前にじっと動かぬ人影があり、それが近づいてきたコニーに襲い掛かる。待ち伏せるものと、コニーを切り返したりすることなく、ワンショットで描かれるために、観客自身もコニー同様、闇=フレームの中を探し、影を見つけて驚くことになる。マンは「観客を巻き込み」、「ストーリー、キャラクター、観客への感情的効果をフレーム内に含みこむ」。

台詞によらず、イメージによって全てを説明すること。説明らしい説明を事前に与えず、見るものをいきなり主人公の置かれた状況の中に投げ込むことで、主人公の情動に観客を同一化させること。そして日常性の中に不意に現れる暴力。これに極端な上下の位置関係などの空間造形(これも1のすばやい上方への動きを考えれば既に第一作に現れていることになる)と、善悪の曖昧な人物造形(これもまたヴィック・テリの、殺し屋ながら同情を誘う設定に既に萌芽はあるのかもしれない)とを加えれば、ほぼ後期までのマンの特徴は確かに出揃うことになるのだろう。

なお、本作の撮影期間は18日(本人のインタビューでは二週間)、中でも三日与えられるはずだった路上のロケ・セットでは、たった一日撮影しただけで、プロデューサーのソル・シーゲルがやってきて、今からセシル・B・デミルがロケで使うから、と追い出されたという(デミルの『絶海の嵐』42は冒険もの、『軍医ワッセル大佐』44は戦争もので、共に都会は舞台ではないが、未見なのでなんともいえない)。