アンソニー・マン その初期作品紹介 第2回 Text by吉田広明
第二作『Moonlight in Havana』はユニヴァーサル製作配給のミュージカル・コメディ。主演は『ショウ・ボート』(36)のアラン・ジョーンズ。ジョニー・ノートン(アラン・ジョーンズ)は、言うことを聞かないのでクビになったキャッチャー。スカンピンの彼が、知り合いのレストランのキッチンで、歌を聞かせる代わりにタダ飯を食わせてもらっていると、たまたまレストランに客として来ていた楽団のプロデューサーがその歌を聴いて彼をスカウト。彼は風邪で鼻声のときしかうまく歌えないのだが、楽団がハヴァナ公演に行くと聞き、引き受ける。実は彼の元の野球チームもハヴァナでキャンプを張っているのだ。
彼は楽団のグロリア(ジェーン・フレイジー)を好きになるが、一方、球団社長の娘パッツィ(マージョリー・ロード)も彼を好いていて、彼がチームに戻れるよう画策してくれていた。しかし、復帰のための試合の日は、まさに楽団の公演の日でバッティングしてしまう。ところが折からハヴァナは雨となり、試合は中止、さらに風邪を引いてうまく歌えて一石二鳥、財政難に苦しんでいたチームはジョニーの人気のおかげでスポンサーを得、パッツィはジョニーをグロリアに譲り、二人は結ばれる。
ベイシンガーは、十分な上映時間が確保できるA級のミュージカルにおいてはストーリーが中身、音楽はその衣装に過ぎない一方で、十分な上映時間が確保できず、そのくせ数曲のナンバーを入れねばならないB級ミュージカルでは、音楽こそ中身、ストーリーは二の次になるとして、物語を発展させるための技巧の発揮のしようもないとして、本作を始めとするマンのB級ミュージカル・コメディ(全部60〜70分程度)をまったく評価していない。しかし、キャッチャーにして歌手という、馬鹿馬鹿しいといえば馬鹿馬鹿しいけれど、二重性を持った存在はマンらしいといえばマンらしいようでもある。また風邪を引いていないとうまく歌えないので、風邪を引かそうと冷たいシャワーを浴びせようとする楽団マネージャーと、風邪を引いていてはうまくプレーできないと、熱いシャワーの後ゆっくり寝かせ、風邪を治そうとする野球チームマネージャーがかち合う辺りのスラップスティックに、会場は大いに沸いていた。
続く二作品、共にリパブリックの『Nobody’s darling(誰のダーリンでもない)』(43)、『My best gal(ぼくの一番の女の子)』(44)も、ミュージカル・コメディ。前者は、ショービジネスの子弟を集めた寄宿舎で、ショービジネスの勉強をしている有名な俳優夫婦の娘ジェイニー(メアリー・リー)、親にも同級生にもその実力を認めてもらえない彼女が、好きな男の子(劇作家志望)や両親に認めてもらい、学内のミュージカル(当然好きな男の子が書いた)で主役を演じるまでを描く。後者は、これも祖父も両親もショービジネス(父は巡業?母は死んでいて、引退した祖父に育てられている)のドラッグストア店員キティ(ジェーン・ウィザース)、何故かショービジネスを避ける彼女が、恋人の劇作家の卵ジョニー(ジミー・ライドン)のためにスポンサーを見つけ、さらに自身も歌手デビューするまでを描く。
共にショービジネスへのデビューを題材とし、同じオリーヴ・クーパーなる女性脚本家のシナリオ。ただし前者の原案はプレミンジャー『月蒼くして』(53)の原作脚本のF.ヒュー・ハーバート、後者はダッシン『真昼の暴動』(47)の脚本を書き、『危機の男』(50)で監督デビューすることになるリチャード・ブルックスが原案で、共同脚本はフライシャーの『その女を殺せ』(52)で知られるアール・フェルトン。ベイシンガーは一顧だに払っておらず、完全無視。
確かに前者での、最後の舞台場面、空中を飛んでくるトランペットをクレーンで追って始まる長廻し、後者の冒頭、ヒロインの女の子が歌っているのを立ち聞きするアパート前の人だかりの、ほとんどノワール的に不気味な人影が話の内容にそぐわないのがかえって印象に残ってはいたりするものの、カタログのあらすじを読んでも、どんな映画だったかあまり思い出せないような作品であることは確かなのだが…
44年にリパブリックで撮った『Strangers in the night(夜のよそもの)』はなかなかの佳作らしいが、シネマテークでの上映がなく(サン・セバスチャンでもやっていないようだ)、筆者も目にしていない。
あらすじを紹介しよう。南太平洋勤務のアメリカ海軍軍曹ジョニー(ウィリアム・テリー)は、カリフォルニア、モントフローレスのローズマリーという女性と文通している。故郷に帰還したジョニーは彼女に会おうと汽車に乗るが、その汽車は事故を起こし、ジョニーは同じくモントフローレスに向かう女医レスリー(ヴァージニア・グレイ)と共に負傷者を助ける。ローズマリーの邸には母親だと言う老女ヒルダ(ヘレン・スィミッグ)と老女中アイヴィ(イーディス・バレット)がいるばかり、ローズマリーは留守という。帰りを待つため邸に滞在することになるが、アイヴィは彼に何か伝えたそうな様子。ジョニーが女医レスリーを訪ね、彼女を愛していると告げるのを盗み聞きしたヒルダは、女医の評判を落とそうと画策する。
一方ヒルダの精神が異常なことをジョニーに告げようとした手紙を、投函前に見つかったアイヴィはヒルダに殺される。ジョニーは、邸にあるローズマリーの巨大な肖像画を描いた画家を訪ね、ローズマリーがヒルダの想像上の娘であることを知る。邸にやってきたジョニーとレスリーに真実を告白したヒルダは、彼らの車に細工をし、崖から落とそうとする。そのたくらみを知った二人は裏をかいて車を崖から落とし、邸に取って返す。失敗を知ったヒルダがローズマリーの肖像画に助けを求めると、肖像画が落下し、潰されたヒルダは死ぬ。
ベイシンガーによれば、本作のカメラのレジー・ラニング(28年の『キートンのカメラマン』で撮影監督となったベテラン)は、ディープ・フォーカス、大胆なカメラ・アングル、深い陰影を帯びた背景を多用、優れてノワール的な雰囲気をかもし出している。ことに、巨大なローズマリーの肖像画の前で、彼女の「誕生日」を祝って老女二人が乾杯する場面では、ロウソクの揺れる炎が二人の顔を照らし、深い影が肖像画を覆う、表現主義的な空間を実現している。
また、この映画では、産むことが出来なかった娘を想像上で作り上げてしまい、その幻想を守るために次々殺人を犯してゆく老女が描かれるが、マンが以後好んで描くことになる、愛情を歪んだ形で実現せざるをえない、精神的に偏向している人物を取上げるのもこの映画が初めて。ヒルダが真実を語る場面では、ゆっくり彼女に向かってトラックアップするカメラがついに彼女のクロースアップとなる。「あんたが愛していたのは、あたしだったんだよ、ジョニー」。想像するだに恐ろしい場面。是非観たいものだ。映画全体は57分と短い割に台詞が多く、必ずしも全体的に視覚的な緊密さを保つことが出来ているわけでもないようだが、マンらしい映像が初めて確立された作品として、最重要作の一つ。