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    <title>木全公彦 日本映画の玉（ギョク）</title>
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    <updated>2008-03-11T10:02:04Z</updated>
    
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    <title>鈴木英夫〈その11〉　インタビュー：土屋嘉男</title>
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    <published>2008-03-11T08:56:35Z</published>
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    <summary> 　鈴木英夫監督の『殺人容疑者』（52）という作品は、これまでほとんど情報のない...</summary>
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        <![CDATA[<a href="http://eiganokuni.com/blog/kimata/image/%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E5%AE%B9%E7%96%91%E8%80%853.html" onclick="window.open('http://eiganokuni.com/blog/kimata/image/%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E5%AE%B9%E7%96%91%E8%80%853.html','popup','width=431,height=300,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://eiganokuni.com/blog/kimata/image/%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E5%AE%B9%E7%96%91%E8%80%853-thumb.jpg" width="70" height="48" alt="" /></a>

　鈴木英夫監督の<em>『殺人容疑者』</em>（52）という作品は、これまでほとんど情報のない幻の作品だった。
　キネマ旬報によれば、出演者欄には《劇壇人》とあるだけで、どうやらまだ文化座に籍があった丹波哲郎の主役デビュー作で、土屋嘉男も映画初出演しているらしいということ、製作会社の電通DFという会社が電通映画社の前身であるらしいこと、鈴木英夫は途中から《船橋比呂志》なる人物と監督を交代したこと、そして脚本の構成を担当したのは長谷川公之であること。ほとんどそれぐらいしか情報がなく、現在上映フィルムやネガが存在するのか、権利はどうなっているのかまるで不明であった。]]>
        <![CDATA[　あまりに情報が少ないので、長谷川公之さん（故人）に取材し（「映画の國」、「鈴木英夫〈<a href="http://eiganokuni.com/blog/kimata/2007/03/7.html">その7</a>〉」）、それを手がかりに池部良さんにお話を伺い（「映画の國、「鈴木英夫〈<a href="http://eiganokuni.com/blog/kimata/2007/08/8.html">その8</a>・<a href="http://eiganokuni.com/blog/kimata/2007/08/9.html">その9</a>〉」）、次第にその全貌が明らかになってきた。前後してチャンネルNECOで「鈴木英夫特集」が組まれるという嬉しい出来事があり、なんとそのラインナップに<em>『殺人容疑者』</em>が入っており、唐突に幻の映画が姿を現し、嬉しいめぐり合わせに小躍りしたものである。その<em>『殺人容疑者』</em>が紀伊國屋書店からデジタル・ハイビジョン・マスターでDVDが発売されるというのだから（2008年5月発売予定）、時代は確実に鈴木英夫に追いついていると断言してもよい。

　そこでさっそく<em>『殺人容疑者』</em>で映画デビューされた土屋嘉男さんに取材を申し込んだ。以下はその記録である。

<h4>■追っかけ場面の隠し撮りは段取りだけでぶっつけ本番で撮った</h4>
<a href="http://eiganokuni.com/blog/kimata/image/%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E5%AE%B9%E7%96%91%E8%80%854.html" onclick="window.open('http://eiganokuni.com/blog/kimata/image/%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E5%AE%B9%E7%96%91%E8%80%854.html','popup','width=287,height=400,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://eiganokuni.com/blog/kimata/image/%E6%AE%BA%E4%BA%BA%E5%AE%B9%E7%96%91%E8%80%854-thumb.jpg" width="70" height="97" alt="" /></a>

――土屋さんは今回初めて<em>『殺人容疑者』</em>をご覧になったそうですね。

<b>土屋</b>　そうなんだ。初めて観た。僕のフィルモグラフィは公式的には黒澤明の<em>『七人の侍』</em>（54）ということになっているんだけど、正確には、その前に俳優座の養成所時代に出演した本当のデビュー作が、この<em>『殺人容疑者』</em>。養成所の俳優が映画に出るとは禁止されていた。あの頃の新劇の俳優は映画をバカにしていたところがあって、「活動写真」なんて言っていましたね。でも、新劇じゃ食えないから、どこかで映画に出演したいという気持ちもみんなあったんじゃないかな。

――<em>『殺人容疑者』</em>に出演なさった経緯を聞かせてください。

<b>土屋</b>　鈴木英夫さんが俳優座に出演者を探しにいらした。それで僕に白羽の矢が立った。僕も好奇心があったし、映画の現場ってどんなものか見てやろうという気持ちもあったから。だから僕としては全く興味本位で出演したという感じだね。

――土屋さんは俳優座養成所の第2期生ですね？

<b>土屋</b>　そう。僕は養成所が出来た最初の研究生だったが、それ以前から10人ばかりいた研究生を、第1期ということになったので、第2期ということです。その頃は1期も2期も一緒だったから、一期生といってもいいかな。この映画にも出演している野村昭子は第1期生、小林昭二、纓片（おがた）龍雄は同期の第2期。

――当時の俳優座の相談役は佐藤正之さん。

<b>土屋</b>　マーちゃんね。鈴木さんがマーちゃんをたずねてきたんだ。それで犯人役が見つからないっていうんで、マーちゃんが文化座を紹介して、丹波哲郎がやった役は最初は山形勲さんがやるはずになったんだ。でも山形さんが病気だというんで、断りに行ったのが文化座の事務員だった丹波で。それで代わりのいい役者いねえかなあということで。「君でいいよ」と丹波が抜擢された。

――丹波さんのインタビュー集（「大俳優　丹波哲郎」、ダーティ工藤共著、ワイズ出版、2004年）でもそのとおりのことが書かれてあります。

<b>土屋</b>　鈴木さんは僕が主役だってクドいたんだよ。丹波は映画の途中からしか出てこないでしょう。

――そうですね。でも、当時はお二人ともまったく無名ですね。セミ・ドキュメンタリー・タッチの映画だから、丹波さんや土屋さんのような映画は初めてという無名俳優のほうが都合がよかったのでしょう。

<b>土屋</b>　セミ・ドキュメンタリー映画だからセットもなし。警察も監獄も全部本物。<em>『裸の町』</em>（48／ジュールズ・ダッシン）という映画があったでしょう。ああいう映画を日本でも作ろうと思ったんじゃないかな。全編オールロケだから、当時の東京の記録としても貴重だね。愛宕署に行ったら、刑事（でか）長が帝銀事件を担当した人でいろいろおもしろい話を聞きました。

――それは事前に愛宕署に取材に行ったということですか？

<b>土屋</b>　いや、撮影に使った部屋がその刑事長の部屋で、撮影の合間に話を聞いただけ。

――監修をされたのは実際に法務室の検視官だった脚本家の長谷川公之さん。

<b>土屋</b>　そうだね。でも僕は会った記憶はない。

――プロデューサーの大條敬三さんとは？

<b>土屋</b>　覚えがない。電通DFって小さな独立プロの映画だったけど、スタッフは優秀だっていうことは聞いていた。東宝レッドパージ組が多いって。

――これ以後も東宝に縁の深い方が名前を連ねていらっしゃいますね。土屋さんの映画初出演の感想はいかがでしたか？

<b>土屋</b>　待機中に相撲を取ったり、鈴木さんの禿げかかった頭をぴしゃりと叩いたりして、子供みたいにじゃれていたんで、しまいには鈴木さんに「お願いだから静かにしてくれ」と言われた。ずいぶん街の中を走った記憶があるけど、映画を観るとそうでもないね。

――いや、かなり走っていらっしゃいますよ。

<b>土屋</b>　最初タイトルバックは違ってた。本当は僕が銀座5丁目から新橋までを一人で歩いているのを、輪タクの中にキャメラマンがアイモを抱えて、隠し撮りで撮った映像がタイトルバックになる予定だった。ところが僕が歩いていると、街で何度も知り合いに会っちゃって、声をかけられてNG。で、やり直すとまた知り合いに会っちゃって、声をかけられて。そんなことが2、3度あった。撮ったことは撮ったと思うけど、結局使えなくって止めたんじゃないのかな。

――丹波さんの証言によると、ギャラは2万円だったとか。

<b>土屋</b>　そういえば思い出したね。丹波と僕が2万円。でも僕はもらった覚えがないね。研究生の勉強会だなんて、誰かが僕の分をくすねたね。（笑）。服も自前。スーツで来てくれと言われたんだけど、スーツなんか持ってないから借りたんだと思う。ヨレヨレで靴もボロボロ。それが逆によかったんだね。走らされてばかりいたからしまいに靴に穴があいてね。靴の先が割れちゃったんで、靴代ぐらい出してくれと言ったんだけど、それももらってない（笑）。

――土屋さんは東宝と契約したあとも鈴木さんの作品にたくさん出演なさってますが、ほとんど刑事役ですね。

<b>土屋</b>　それは最初に<em>『殺人容疑者』</em>があったからでしょう。

――<em>『彼奴を逃すな』</em>（56）では志村喬さんとのコンビ。

<b>土屋</b>　あったね。あの作品では逆に粋なベルトしたり、その場所ごとにスーツを着替えたりしたいと監督に提案したね。というのは、刑事というのはいつも同じ格好じゃ尾行なんてできないでしょう、バレちゃうから。黒澤さんの<em>『天国と地獄』</em>（63）のときも僕は浮浪者の格好をしたりしたけど、実際の警察にも衣装部屋があって、ずらっといろんな衣装が並んでいるんだ。それで鈴木さんと衝突した。相変わらずヨレヨレのスーツで曲がったネクタイという要求だったから。でも僕の主張を認めてもらった。僕は鈴木さんとは相性がよかったからね。<em>『彼奴を逃すな』</em>で木村功がやった役は最初僕がやるはずだったんだ。でも会社がもうそういうキャスティングをしていたんだろうね。それでとうとう鈴木さんが会社に折れて僕は志村さんの部下で出ることになった。どうも僕は黒澤さんにしろ、成瀬さんにしろ、鈴木さんにしろ、気難しい監督に気にいられたところがあった。よく使ってもらいました。厳しい監督だったけどね。

――先ほどのお話で<em>『殺人容疑者』</em>はセミ・ドキュメンタリーで全部本物だというお話がありましたけど、この映画は警視庁と科捜研が全面協力しているんですね。そういう方面から撮影現場に監修のような人はいらしてましたか？

<b>土屋</b>　来てなかった。でも拳銃も本物だよ。警察が本物の拳銃を貸してくれた。弾は空砲だけどもね。あとになってからの映画では、警察からのお付きが一緒に来た。拳銃ならそれに一人、手錠ならそれにも一人ってぐあいに。<em>『殺人容疑者』</em>のときはそれもなかった。後で確か鈴木さんの映画だったと思うけど、僕が待機のときに手錠で遊んでいて、自分の腕に手錠をはめちゃったことがあるの。そういうときに限ってお付きの警官が手錠の鍵を忘れてくるんだ。遠い警視庁まで鍵を取りに行って、僕の手錠を外してもらうまで撮影中止（笑）。そんなこともあった。

――隠し取りによる容疑者追跡場面も迫力ありますね。

<b>土屋</b>　纓片を追いかける場面。あれは日劇、今のマリオンからスバル座があるあたりまで纓片を追いかけた。当時はあっちこっちに新聞を売っている売り場があったんだけど、その中にキャメラを隠したり、ビルの屋上から隠し撮りで撮影した。

――リハーサルはあったんですか？

<b>土屋</b>　ないよ、そんなもんは。段取りだけでぶっつけ本番。僕と刑事役でコンビを組んでいる石島房太郎さんが走るのに追いつけなくてね。途中で転んじゃった。そうしたらとっさに石島さんが「泥棒！」って叫んじゃって、周りの群衆が集まってきちゃった。だからあれ、本当の通行人。纓片を僕が追いかけて捕まえるところは、見えないようにチョークで印がつけてあった。でも群衆が本物だと思って集まってきて。ああいうのって不思議だよね。見たいんだけども、ちょっと怖いというのがあるのか、後で上から俯瞰で撮ったラッシュを見たら群衆が取り囲むんだけど、その輪が縮まったり、広がったりしながら、だんだん輪が小さくなっていく。その時、勇気ある一人のヤジ馬が纓片に足を出して彼が転んだら数人で彼を袋叩きさ。僕は困って走り寄って纓片を背負い投げで投げ飛ばして揉み合いながら、小声で「おい、チョークの場所はあっちだから」って纓片の耳元で囁いて指定されたチョークの場所まで行った。それから、手錠をかけて、小道具で持たしてもらっていた警察手帳を出して、ヤジ馬に向かって「ご協力ありがとうございました」って（笑）。

――全部アドリブみたいなものなんですか。それならますます迫力があるからヤジ馬は本物の捕り物だと思ったわけですね。

<b>土屋</b>　そう。こっちもまだ無名だから。だから名前の売れた俳優じゃダメだったんだろうね。

――それからは？

<b>土屋</b>　そのままヤジ馬が去ろうとしないから、僕は纓片に手錠をかけたままま丸ノ内警察まで引っ張っていったの。そこまでヤジ馬がゾロゾロ付いてくるんだ。でも、警察っていうのは手錠をかけられたヤツが連行されてくるなんてしょっちゅうだから、別に気にも留めないからこっちも困っちゃってね。「トイレを借ります」と言ってトイレで手錠をはずして彼と並んで小便をして出ようとしたら、まだ表にヤジ馬がいる。出られないんだ。だから裏口から出て、細い路地を抜けて逃げ出したら、不二家の厨房の裏口があってそこから店に入ってほとぼりのさめるまでと二人でアイスクリームを食っていたら、さっきのヤジ馬の一人がいたんだろうね。「あ、刑事と泥棒が一緒にアイスクリームを食っている！」と騒ぐんで（笑）、慌てて店を逃げ出して、そのまま家に帰りました。

――助監督はどうしていたんでしょう？

<b>土屋</b>　さあ？　助けに来なかったよ。

――録音はどうされたんですか？　アフレコですか？　ワイヤレスマイクなんてない時代ですよね？

<b>土屋</b>　ないない、ワイヤレスなんて。どうだったかなあ。僕がアフレコしたのは<em>『七人の侍』</em>だけだったような気がする。

――丹波さんを追い詰めるドブ川の場面はいかがですか？　あれは五反田ですか？

<b>土屋</b>　田町。小林昭二とずいぶん線路の上を走った。あのドブ川も本物の下水。だから本当に生活汚水が流れてきて汚いんだ。トイレなんかのね。ずいぶん臭かった。それで僕は膝までだったんだけど、丹波は頭までずっぽり。そこは暗がりで映っていなかったね。僕は丹波の役じゃなくてよかったと思いました（笑）。

――土屋さんが隠れている丹波さんを発見するんだけど、上司には「いない」と報告しながら、目で合図してあっちだとやる場面はよかったですね！

<b>土屋</b>　でしょう！　いいね、あれ。僕は今回この映画を観るのがちょっと怖かった。新劇俳優特有の自意識丸出しで演技していたらとてもじゃないけど見られたもんじゃないと。そうしたら、キャメラの前ではちゃんと素朴で真面目になかなか僕もいい芝居しているね（笑）、あの目で合図する場面なんか自然で、自分で言うのもなんだけどよかった。

――アップの数も丹波さんより多いぐらいです。

<b>土屋</b>　そうだね。でもそのあとがひどかった。汚いドブ川でしょう。僕も丹波も汚水に浸かって体中泥だらけで汚くて臭うんだけど、撮影が終わるとスタッフはそのまま帰っちゃったの。ひどい話だよね（笑）。それで僕と丹波は国鉄職員の休憩所まで行って、そこのお風呂に入れてもらった。丹波と一緒に湯船に浸かってね。アイツ、あの頃からダボラをよく吹くんだ。大きなことばかりね。二人で湯船に浸かりながらも、ダボラばかり言っていた。僕はそんな奴を好む方だから仲良しになったね。でも小林と纓片に言われた。「あんな嫌な奴と口なんかきくなよ」とね。でも、この映画がきっかけで彼は新東宝に入るんでしょう？

――そうです。この映画は低予算で作られたのにそこそこ当たったみたいですね。丹波さんもそれで注目されて、文化座を辞めて新東宝に入ったんでしょう。

<b>土屋</b>　僕は彼が新東宝で出演した映画はあまり観ていないんだ。

――恩田清二郎さんはのちに東宝と契約されて、土屋さんともよく共演なさってますね。

<b>土屋</b>　うん。特撮ものなんかもそうだね。

――石島さんは元前進座の方で、この作品以降は東映で作られることになった<em>『警視庁物語』</em>シリーズなどのセミ・ドキュメンタリーものによく出演なさってます。大町文夫さんは民芸ですかね？

<b>土屋</b>　この頃の独立プロは共産党系が多かったんだ。新劇もそうだね。文学座も俳優座も民芸もみんなそうだった時代があった。

――この映画にはジプシー・ローズが出ていますよね？　動いている映像は初めて見ました。

<b>土屋</b>　ジプシー・ローズ！　そう！　僕は、ストリップも好きだったからよく見に行った。ジプシー・ローズと僕とのやりとりがもっとあったはずだが短かったね。

――その場面に土屋さんと同じ俳優座の野村昭子さんが出ていらした。

<b>土屋</b>　そうだね。踊り子役。

――この映画は共同監督が船橋比呂志となっていますけど？

<b>土屋</b>　本名はなんて言ったっけ？

――蜷川親博。もと東宝で山本薩夫さんの助監督をされていた方です。

<b>土屋</b>　そうなんだ。撮影の途中で鈴木さんがいなくなっちゃって、残りを蜷川さんが監督したんだ。

――鈴木さんが藤本眞澄さんに引っ張られて東宝と契約して、<em>『続・三等重役』</em>（52）を撮るために現場を離れたみたいですね。

<b>土屋</b>　そういう事情を言わないから。なんか逃げたんじゃないかと思ってね。僕が東宝に入ったとき、鈴木さんに「あのときは逃げたでしょう」と言ったんだけども（笑）。でも蜷川さんもいい人だったよ。車が好きでね。撮影の帰りに蜷川さんのオンボロ車に乗せてもらったんだけど、走っている最中にガタンと大きく車が揺れて何か黒いものが目の前を転がっていくの。なんだろうと思ったら、車のタイヤ。ボロ車だから車輪が取れちゃったんだ（笑）。銀座4丁目のあの交差点のど真ん中さ。おかしかったね。あれ、映画みたいだった。

<h4>■鈴木さんは僕に「おまえさんに出てもらうと画面がしまる」って言ってくれた</h4>

――ちょっと話がずれるんですが、土屋さんは<em>『殺人容疑者』</em>のあと、<em>『私はシベリヤの捕虜だった』</em>（52／阿部豊・志村敏夫）という映画にも出演なさっていますよね？　シベリアのラーゲリ（収容所）の話で、これもシュウ・タグチ・プロという小さな独立プロの映画です。なかなか興味深く拝見しました。

<b>土屋</b>　あれは<em>『殺人容疑者』</em>のあと、養成所の夏休みにプロデューサーに誘われて撮影を見学に行ったの。そうしたら役者が足らないということになって、見学していた僕が後ろから押し出されて出演することになった（笑）。だからこれもギャラなしの勉強会。

――北沢彪さんが主演で、シベリアの日本人捕虜収容所の中での日本人同士のイジメなんかが描かれる。

<b>土屋</b>　北沢彪さん！　そうだ、彪さんの家に招かれて行った記憶がある。その映画、伊藤雄之助も出ていなかった？

――出演されています。

<b>土屋</b>　顔の長い俳優がいるなあ、って。俳優座に戻って小沢栄太郎さんに「どうだった？」と聞かれたから「顔の長い俳優がいた」と報告したら、それは「雄ちゃんだ」って（笑）。よく知っている仲だったんだ。もちろんまだその頃は伊藤雄之助もそんなに売れていませんよ。

――土屋さんの俳優座での初舞台は「しいたけと雄弁」（53、岸田國士作）ですか？

<b>土屋</b>　そう。

――<em>『殺人容疑者』</em>も<em>『私はシベリヤの捕虜だった』</em>もその前の作品ですね。つまり新劇人が初舞台前に映画に出演している（笑）。

<b>土屋</b>　研究生の中から初めて初舞台に出してくれてね。伊藤賞とかいう賞をもらったけど、それがどういう賞なのか今もよく知らない。ほんのちょっぴり賞金をもらってバナナをいっぱい買って食ったことは覚えている。それから俳優座の劇団員に採用されて、<em>『七人の侍』</em>に出演して、それから東宝と契約したんだ。これからが本格的なギャラ有り。

――土屋さんは東宝に入られてからも鈴木さんの作品に出ていらっしゃるからご存知だと思うんですが、鈴木さんは特定の俳優には厳しかったみたいですね。

<b>土屋</b>　誰にとは言わないけどさ。

――佐原健二さんでしょう？

<b>土屋</b>　あ、知ってるんだ。黙ってようと思ったんだけど。

――みなさん、取材した方全員がおっしゃってましたよ。司葉子さんとか。

<b>土屋</b>　みんな口が軽いなあ（笑）。あれは相当イジめられた。もう何から何まで気に食わないという感じ。

――<em>『社員無頼　怒号篇・反撃篇』</em>（59）のときですね。

<b>土屋</b>　佐原君が一歩足を踏み出すだけのことでも、鈴木さんは気にいらない。彼は泣いてました。ドーランが涙で剥げてきたから、僕が「おい、ちょっとドーランを直して気分を変えてこい」と励ましましたもん。本当に気の毒だった。

――あとやられたのは佐藤允さんでしょう？　それは池部良さんからうかがいました。

<b>土屋</b>　そうそう。みんなホント口が軽いなあ。

――<em>『脱獄囚』</em>（57）ですね。

<b>土屋</b>　そうかもしれない。佐藤君が僕とがダベっていると鈴木さんがそばに来て佐藤君に「君は笑う資格はない」って。それで萎縮しちゃってね。かわいそうだった。僕もそれで気軽に話すのを止めた覚えがある。

――鈴木さんは伸びると思うからシゴいているんじゃないですか？

<b>土屋</b>　そうじゃないね、あれは。単にムシが好かないだけなんだと思う。好き嫌いの激しい気難しい人だったから。でも僕にはそんなことがなかった。いい監督だったと思う。演技指導もうまかったしね。黒澤さんと成瀬さんを別格にして、僕は東宝の中ではいちばん好きな監督でした。その次が中川信夫さん。鈴木さんはいつも僕に「おまえさんに出てもらうと画面がしまる」って嬉しいことを言ってくれたが、あれはお世辞だね。

――杉江敏男監督は？

<b>土屋</b>　杉江さんが監督した<em>『黒い画集・ある遭難』</em>（61）は僕の代表作の一本。

――<em>『黒い画集』</em>シリーズは3本あるんですが、その1本ですね。

<b>土屋</b>　堀川（弘通）さんのがオクラになったから作られた映画でしょう？

――いいえ、堀川さんの<em>『黒い画集・あるサラリーマンの証言』</em>（60）が第1作で、その評判がよかったから、シリーズ化されたんです。オクラになったのは、次の<em>『黒い画集・第二話／寒流』</em>（61）。それで第三作の<em>『ある遭難』</em>が先に公開されて、<em>『寒流』</em>はあとからの公開になったから、本来なら第3作になるのに題名に<em>『第二話』</em>という副題が付いているという。

<b>土屋</b>　監督は誰？

――それが・・・鈴木英夫さんです（笑）

<b>土屋</b>　それはおかしいね。オクラになったのがあったことは知っていたけど、それが鈴木さんの作品だったとは・・・。

――今日は貴重なお話ありがとうございました。<em>『殺人容疑者』</em>も丹波さんがお亡くなりになって、ほかにお話をうかがえる人がいなくなったものですから、大変参考になりました。

<b>土屋</b>　ああそうか。もう残っているのは僕だけか。<em>『七人の侍』</em>も僕だけになっちゃいましたもんね。そう思うとちょっと寂しいですね・・・。

2007年12月11日、紀伊國屋書店本社にて
インタビュアー・構成：木全公彦]]>
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    <title>「妄執、異形の人々Ⅱ」特集の裏側で</title>
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    <published>2007-12-11T09:53:42Z</published>
    <updated>2007-12-12T07:16:42Z</updated>
    
    <summary> 2007年、シネマヴェーラ渋谷で行われた特集上映「妄執、異形の人々Ⅱ」の裏側に...</summary>
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2007年、シネマヴェーラ渋谷で行われた特集上映「妄執、異形の人々Ⅱ」の裏側について、少し書いておきたい。
<h4></h4>]]>
        <![CDATA[<h4>■　『怪談せむし男』が上映されるまで</h4>

この特集は、2006年にシネマヴェーラ渋谷で上映された「妄執、異形の人々」が好評だったことを受け、企画された特集上映の第2弾である。第1回の特集上映は、私がシネマヴェーラ渋谷の館主である内藤篤さんに企画を持ち込んだところ、ちょうどそういう企画を考えていたから、是非やりましょうと快諾をいただいたことからはじまった。「持ち込んだ」と言っても、企画書を書いたわけではなく、最初は偶然内藤さんと渋谷で会ったときの立ち話がきっかけである。それまでたった一度の取材でしか面識がないチンピラの意見を受け入れていただいて正直驚いたが、そのことは今も感謝している。

名画座は年々減っているが、いわゆる〈カルト映画〉の上映に力を入れていた大井武蔵野館、インディペンデント映画やピンク映画などの上映も精力的に行っていた中野武蔵野ホールが相次いで閉館したのち、私は〈いかがわしい映画〉を上映する名画座がなくなってしまったと常々考えていたのである。
映画史に大書される誰でも知っている名画や名監督の特集だけではなく、監督の固有名詞で語られることのない胡散臭い題名のプログラム・ピクチュアを、監督や役者の固有名詞に縛られない形で特集上映ができないものか、失われてしまった映画館の持ついかがわしさを取り戻すような企画上映ができないものか、それにこの手の特集上映なら、縛りが緩いから、たとえばピンク映画も黒澤明の『生きものの記録』までも一緒にしてごちゃまぜで上映することができる、2本立て興行を基本にするシネマヴェーラ渋谷ならではそういったアンリ・ラングロワ的な無謀な組み合わせも可能だ、〈いかがわしい映画〉であれば、ビデオやDVDになっていない作品も多いし、〈カルト映画〉の冠にひかれて、映画館に足を運んでくれる客も多いだろう、などと思ったのだ。
実際、石井輝男の『恐怖奇形人間』だって、大井武蔵野館が80年代から繰り返し上映したからこそ、カルト映画の中のカルト映画として、現在では誰もが知る映画になったのである。

しかし実のところ、私が長年観たいと思っていた佐藤肇の『怪談せむし男』が、その題名のためにビデオソフト化はもちろんのこと衛星放送等でも観るチャンスが絶望的である以上、なんとかニュープリントを焼いて上映してもらう口実を作る必要があったというのが、私の本音である。すでにネットでイタリア語吹き替え版によるアメリカ製の海賊版ビデオを入手していた私は、人物の輪郭もはっきりしない『怪談せむし男』を観て興奮、高橋洋さんら知人たちにも配布したところ、とくに高橋さんは私以上に興奮していた。私はますますちゃんとした形でオリジナルの『怪談せむし男』を観たくなった。

特集上映に向けて、内藤さんとともに、上映作品のセレクト、権利元の連絡先、上映プリントの有無などを調べたが、その過程で『怪談せむし男』の上映プリントはないため、東映に依頼して新たにニュープリントを焼くほかないのだが、モノクロ作品であるため、通常のカラー作品より倍の予算がかかることが分かった。打ち合わせ段階で、私は『怪談せむし男』のほかに、観たい作品として山口和彦の『怪猫トルコ風呂』を挙げていたので、内藤さんは「『怪猫トルコ風呂』なら値段は半分ですが、それでもあえて『怪談せむし男』を焼くメリットはありますかね。両方は焼けないので」と私に迫った。そう言われると正直困る。両作とも長年観たいと切望していた作品であり、題名ゆえに容易に観られない作品だったからである。もし高い値段を払ってニュープリントを焼いて、観てみたらガッカリでは困るのだ。責任は取れない。決して安くはない費用を自分が負担するわけではないからだ。そこで私は「今回は『怪猫トルコ風呂』を焼き、この特集の集客の結果を見て、翌年本特集のパート2を行うことができたら、そこで『怪談せむし男』のニュープリントを焼く」ことを提案し、内藤さんに受け入れてもらった。

したがって、実も蓋もない言い方をすれば、「妄執、異形の人々」特集上映は、私が『怪談せむし男』をちゃんとした形で観たいがために、ただそれだけのためにシネマヴェーラ渋谷に持ち込んだ企画であることを告白しておく。その過程で、『怪猫トルコ風呂』のニュープリントが焼かれ、観ることができて、また集客も悪くなかったことは、言ってみれば儲けものだったと言っていいのかもしれない。内藤さんは約束どおり、翌2007年の「妄執、異形の人々Ⅱ」で『怪談せむし男』を焼いてくれることになった・・・。欣喜雀躍。感謝感激。

その間、内藤さんの依頼で、私は「渋谷實特集」「清水宏特集」の企画にも協力し、東京国立近代美術館フィルムセンターが保存する作品を特別に上映してもらうため、たとえば後者では「清水宏特集上映委員会」を作り、どこにも所属しておらず、どことも利益関係にない私が、実行委員長として書面作成・捺印してフィルムセンターに提出する、なんてこともやったのだが、それぞれ少なからず反響があったようで、企画・上映に協力した者としては感慨もひとしおであった。慣れないトークを渋々引き受けたのもこうした私の立場によるものであるが、あれはおまけである。

<h4>■　青山定司監督『家獣』とは</h4>

2007年、初夏だったと記憶する。シネマヴェーラ渋谷の館主である内藤さんから「妄執、異形の人々Ⅱ」をやりたいと打診があった。何度かメールをやりとりしている中で、磯田勉さんにも企画に加わってもらった。すでに内藤さんは約束どおり『怪談せむし男』のニュープリントを焼くと明言してくれていたので、あとは現在上映プリントがありそうな作品を選ぶだけでよかった。
ところがある日、内藤さんが「ネットで検索していたら、『家獣（やじゅう）』という映画があるみたいなんだけど、これって観てます？　〈異形〉にふさわしいんじゃないですかね」と質問してきた。驚いたのなんのって。

『家獣』は1979年製作の16ミリ自主映画（52分）。監督は青山定司。音楽はあの金子マリ＆バックスバニーである。私はこれを当時観ている。確かに「異形、妄執の人々」特集で上映するにはふさわしい。青山定司という監督がほとんど忘れられている現在であればなおさらである。私自身、オールナイトで観たこともあり、睡魔と闘いながら観たため、記憶もおぼろなので、改めて観直してみたい気もした。

<a href="http://www.jmdb.ne.jp/1979/dc002890.htm">日本映画データベースの『家獣』の項目</a>

ところが青山定司監督は『家獣』を完成後、その直後に34歳で死去。多くの実験映画作家を生んだイメージフォーラム映像研究所とも、自主映画の登竜門であるぴあ主宰のPFFとも、無縁だったので、フィルムの所在はおろか遺族の連絡先も分からないだろう、と推察された。
そうなると俄然もう一度観てみたくなるのが悲しき人間の性。おかげでその日から青山定司監督の遺族・関係者を探すはめとなってしまった。

『家獣』の解説と青山定司監督に関するプロフィールは、以下である（「世界映画作品・記録全集1981年版」キネマ旬報社刊、日比野幸子執筆／本欄で解説をほぼ全文引用することに関しては事前に日比野さんの了承をいただきました）。

「青山定司（1945年6月30日生まれ）の遺作となった怪奇ドラマで、16ミリ初カラーに挑戦、青山独特の“嗜好”を打ち出したおどろおどろしい作品である。彼は、79年4月、かねて体の不調を訴えながら、この作品の公開日に間に合わせるために完成を急ぎ、無理を重ねた結果ついに東京白金台の東大医科学研究所に入院、開腹手術を受けたのち小康を得て退院、再編集して10月に公開、次回作の構想も新たに映画への執念をみせて闘病生活を送ったが、翌80年5月20日午前4時、直腸ガンのため死去、34歳だった。『追憶』（68）を処女作に、70年初頭から『淋民（たみ）』『是怨伝』『無頼みやこの子守唄』『たろうトウキョウ』『TAKE　IT　EASY』などの8ミリ作品を発表し、いわゆる今日の自主映画ニュー・ウエイヴの走りになった作家だが、『信天翁』（75、16ミリ・白黒）を経てドラマ志向を強くし、『八月の濡れた太陽』（76）、『美しき玩具たち』（77）を8ミリによる情念の追求ドラマとし、その猟奇趣味の部分を拡大したのが“震撼映画”と銘打たれたこの作品であった。

明治34年、八王子の名家に人知れず守り育てられている双児で奇形の兄妹がいた。下男の重蔵は当主の遺言どおり、この眼のない女児と顔面の下半分が深く陥没した男児に仕え、近親相姦の果てに二人がまたもや女の双児を生み落とすと、家の血を継ぐ彼女たちを献身的に養育する。女の子の一人、志乃は美しい娘に成長。ある日、のぞくことを禁じられている納屋に近づいた彼女は、異形の男親と姦通し、女親は殺され、無残にも食われてしまう。落胆した重蔵は、それでもう一人の少女を軟禁した土蔵に今夜も食事を運ぶ。その少女を、かいま見た女中は雪の中をころげるように逃げてゆく・・・。

家獣となり果てた双児で奇形の両親に腕をもぎとられ脚を食いちぎられる志乃の愛撫シーンは、さながら“家”と“血”のいけにえとしてグロテスクな現実のかなたへ抜けてゆく清らかさに満ちている。下男の重蔵について青山は〈彼は呪われた血のほとりに立ってそれを守っている。それに憑かれたというか同一化したいという気持ちがあるのだが、その血のない者にはそれができない。だから三代にわたって血を守る役目を背負うという、これは愚行なんだ〉というコメントを残している。映画に憑かれた青山は、その“愚行”半ばにして逝った」

当時観た私の印象では、おどろおどろしい雰囲気は横溝正史や江戸川乱歩の伝奇ミステリ小説に通底し、それをもっとグロテスクにした土俗的な感じの怪奇映画で、手作りの造形美術や特殊メイクは、円谷英二にあこがれた自主映画小僧の素顔が浮かんでくるような、それでいて達者な作り手によるモンスター映画という感想を持った。最近は安易に乱発されすぎてあまり好きな言葉ではなくなってしまったが、独特の〈世界観〉があると思ったのである。

『家獣』が製作されたのは、ちょうど情報誌ぴあが主宰するPFFが始まったばかりの頃で、長崎俊一、石井聰互、山川直人、土方鉄人、黒沢清、万田邦敏、山本政志、長嶺高文、手塚真、今関あきよしらが登場し、大森一樹が『オレンジロード急行（エクスプレス）』を松竹で監督して以来、自主映画がマスコミの注目を集めている頃だった。彼らの中でも最も年長でキャリアも古い青山定司の存在は異色だったように思う。マスコミが自主映画に注目していたこともあって、青山定司は彼らと一緒に「平凡パンチ」や「GORO」にレイバンのサングラスをかけた写真付きで『家獣』とともに紹介されていたと記憶する。その一部は私も当時切り抜いて今もファイルに保存してある。

余談なるになるが、あまり知られていないことでところでは、その頃、高林陽一の『本陣殺人事件』や藤田敏八の『もっとしなやかに　もっとしたたかに』に出演していた女優・高沢順子（2代目「お魚になった私」の人）も、本人曰く「トリュフォーみたいな」自主映画を作って旧文芸坐で上映したことがある。そのときの「平凡パンチ」の切り抜きも私のファイルにはあるし、大友克洋が監督した自主映画『じゆうをわれらに』の記事もどこかにあったはずだ。森田芳光の『ライブ・イン茅ヶ崎』のあの名高いチラシはもちろんある。のちの脚本家である一色伸幸が青学映研の代表として「小型映画」の座談会に早稲田大学シネ研の武藤起一（現ニューシネマ・ワークショップ主宰）と一緒に出席したり、ずっとあとになってホイチョイ・プロを主宰する馬場康夫がPFFの応募者の中に名前はあったものの一次予選を通らなかったのもこの時代のことである。

脱線ついでに書いておくと、ぴあについては私と同世代の坪内祐三が「一九七二　「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」」（文藝春秋刊）の中で一章を設けて、自身の回想を交えて論じているが、東京在住だった坪内祐三と80年代半ばまで地方都市にいた私とでは、その受容の仕方も自主映画の様相も情報のあり方もかなり異なっていたことだけは書いておこう。ただし、現在のようにミニシアターなどなく、貸しホールも少なく、たいていは自主映画といえば喫茶店で上映が行なわれていた状況には、東京も地方も変わりはないと思うが。
しかしながら、私は70年代からたびたび上京しては当時飯田橋にあったぴあの試写室に潜り込んで、懇意にしていたある方の好意でさまざまな映画を見せてもらうという運に恵まれた。ぴあも今よりずっと開放的だったのである。その頃のぴあの試写室は、胡散臭い人たちや私のような鼻垂れ小僧までが自由に出入りし、まるで自主映画作家や若い映画愛好家たちの解放区のように見えた。

さて、青山定司監督とその作品について、補足しておく。
青山定司監督は「1945年6月30日、旧満洲・大連市生まれ。少年時代は映画館の看板屋になろうと思っていた。『ゴジラ』に魅せられて熱狂的な円谷ファンとなり、68年駒沢大学経済学部卒業後、青山デザイン専門学校アニメ科に学ぶ。8ミリによる処女作『追憶』（68）に撮るが、カメラの故障で雪ばかりのフィルムができた。以降、彼の作品には何らかの偶発性がついてまわる。70年、同校の学園紛争が『たろうトウキョウ』（71）を生む。求めて求められぬ他者との関係を、血涙噴き上げるような仕上がりの風景ショットを集積することで表現しているが、凶暴なまでに純粋な非行少年の眼差しをもった坂英之との出会いであった。

家業の仏教美術の仕事を携わり、日映美術の撮影助手、コピーライターなどの職を転々としながら、同じ坂英之主演で『TAKE  IT  EASY』（74）を撮る。交友のあるアマチュア8ミリ作家60名余の協力を得たこの作品では、初めてカメラを離れ、それまでのような、内向する感受性を主情的な風景にきりかえしていく一人称手法からの脱出を試みた。続く『信天翁』（75）は初の16ミリ作品。ヒロインを演じた桂木梨絵はまもなく『祭りの準備』（黒木和雄監督）、『凍河』（NHKテレビ）などに出演し、プロの女優となった」（「日本映画監督全集」キネマ旬報社刊、日比野幸子執筆より抜粋引用）。

なお、青山監督の早すぎる死の数ヶ月前に、監督の愛妻であり、映画製作を裏で支えた三江子夫人も若くして亡くなっていることを付記しておく。若い夫婦が立て続けに30代で病死するのは単なる偶然だろうが、遺作になった『家獣』のことを考えると、奇しき因縁にぞっとする。

内藤さんのほんのひとことがきっかけとなって、「そういえば自主映画の監督たちの作品って、どうなってるんだろう」と思った私は、この早逝した監督の関係者・遺族を求めて追跡調査を行なった。な～に、こういうのは仕事で慣れている。紀伊國屋書店映像情報部がリリースしているDVDでも、依頼されたわけでもないのにしょっちゅうこんなことばかりやっているしね（とあからさまに自慢）。
というわけで、すぐさまこれらの解説文を執筆なさった旧知の日比野幸子さんにメールし、同時にぴあのPFF事務局の森本英利さんにも連絡した。日比野さんからは当時のスタッフの連絡先を教えてもらったが、みんな青山監督亡きあと自主映画から足を洗い、正業に就いているとの返事。森本さんからはPFF応募作品ではないので分からないとのことだった。日比野さんから教えていただいた2人の元スタッフに連絡したが、やはり手がかりなし。逆に最近の映画事情やおもしろい新作は何か、なんてことを聞かれてしまった。

ケータイもインターネットもない時代、自主映画の監督たちはどのように上映会の告知をしたか。あるいは自作をレンタルしていることをどのようにして告知していたのか。そう考えてみたが、30年近く前の自主映画の上映会のチラシを入手するのは困難だった。だが、もうひとつの手段がある。情報誌と雑誌「小型映画」である。当時、日比野幸子さんが編集長を務めていた「小型映画」のバックナンバーに、宇田川幸洋さんが『家獣』について長い賛辞を書いていたと記憶していたが、その記事は発見できなかった。まあ、次の機会にじっくり探してみよう。次に、キネ旬、ぴあ（当時は月刊）などのバックナンバーをあたり、私は当時青山監督が住んでいた渋谷のアパートを突き止めた。電話番号が載っていたので（個人情報保護など考えもしない時代だったのある！）、電話してみたが、当然のことながら不通。アパートも取り壊されていた。

今度は、青山監督が亡くなった直後、友人有志たちが設立した〈青山定司フィルム・ライブラリー〉の連絡先が〈ことばとぶんかセンター新宿日本語学内・●●●まで〉と記載されていたことがキネ旬の増刊で分かったので、その情報を頼りに、すでに〈ことばとぶんかセンター〉なる組織はないだろうけれども、その●●●さんが今はどこかの大学教授で言語学か日本語の教鞭を執られているに違いないと確信めいた予感があったので、その平凡な名前に半ばあまり期待せず、名前と適当な言葉を並べてググってみた。同姓同名の人がY県のさる大学で日本語学の教授として教鞭を執っており、ホームページを運営しているところに行き着いた。幸いにもメール・アドレスを公開なさっていたので、メールしてみた。翌日、返事がきた。結果はやはりこちらの予想どおり、その●●●さんご本人であった。だが、すでに自主映画から離れて30年近く経っており、東京を離れて当地の大学に赴任してきてからもかなりの年数が経つので、遺族の連絡先もフィルムの所在も分からないというメールでのお返事であった。

<h4>■　『家獣』を求めて</h4>

こんな状況下でも、まだチャンスがあると思ったのは、ほかでもない。先に引用した監督のプロフィールに書かれている「家業の仏教美術」というくだりである。たぶんこれって仏具店のことなんだろうと思い、さらに日比野さんの書かれた原稿を確認し、もう一度日比野さんに連絡すると、渋谷・恵比寿辺りに青山監督の実家である仏具店があったことが分かった。NTTの番号案内を使って六本木まで範囲を広げて調査を続けたが、屋号が分からない上にすでに廃業した可能性もあり、かたっぱしらから電話してみたが、空振りだった。だがピンと閃くものがあり、仏具店の組合のようなものをネットで調べたところ、そこの専務理事をしている方が「青山」姓だったので、もしやと思って記載されている電話番号に電話をしてみた。
電話に出た従業員の方から社長に取り次いでいただき、社長に「亡くなられた青山定司監督のご遺族の方ですか」と尋ねてみた。電話の向こうの声はちょっと声を低くして「それは弟に間違いないですわ」とおっしゃった。
BINGO！
私はやっと遺族を探りあてたのである。それもほとんど自分の家を出ずに、たった4日間で！　私は自分がバロネス・オルツィ書くところの「隅の老人」ならぬ「隅の中年」（笑）になった気がして、ちょっと得意だった。つくづく便利な時代になったものである、と《そのときは》思った。

仏具店の主人は、店を10年ほど前に恵比寿から現在のところに移転したと告げ、「うちの女房のほうが弟を可愛がっていましたから、今代わります」と言って、青山定司監督の義姉にあたる女性に電話を代わった。私が事情を話すと、彼女は「義弟のことを調べていただき、また映画を上映しようとしていただけるという気持ちはありがたいのですが」と言った。そして残念そうに「ですけども、義弟が死んだあと、フィルムもチラシも全部処分しました」と告げた。それは本当に残念そうな感じの声だった。「処分というのは廃棄、つまり捨てたということですか？」と私。「そうです」という無情の返事。私の頭の中は真っ白になり、ただ空しい音だけが響き渡った。が～ん！　が～ん！

私はその経過をメールで逐一内藤さんに連絡していたのだが、内藤さんは結果を聞いていつものポーカーフェイスであまり残念そうでなさそうに残念がった。「それでは仕方ありませんね」と内藤さんはおっしゃったが、私の中にはなにかやりきれない思いが残った。たかが30年前の映画がもうこの世に存在しないのである！　そんなことずっと以前からも分かっており、知っていたはずなのに、フィルムの、特に自主映画関係のフィルムの管理がいかに個人レベルに留まっており、今も散逸の危機にあるのか、改めて痛感させられ、どうしても諦めきれなかった。

<h4>■　新たなる展開</h4>

私は事の次第を「妄執、異形の人々Ⅱ」の共同企画者である磯田勉さんに話した。そうしたら彼はこっちが唖然とすることを口にした。「『家獣』なら確か1980年代中頃か後半頃に中野武蔵野ホールで上映しているはずです。当時の支配人である細谷（隆広）さんに聞いてみれば？」と何事もなかったように言うのである！　さっそくすがる気持ちで知らぬ仲ではない細谷さん（現アルゴ・ピクチャーズ）にメールして確認したところ、「都内の某所にある健康食品を扱う店の主人がフィルム・コレクターで、そこから借りた」とのことであった。「名前も連絡先も忘れちゃったし、かなり高齢だったからもう亡くなっているかもね」と細谷さんはメールで書いてきた。

またネットでの探索再開である。細谷さんの情報を頼りにネットから該当店をピックアップし、リストを作り、そこから可能性の高い順に電話してみることにした。最初に電話したのは、都内某所にある某健康食料品の販売店である。斯界ではかなり有名な店らしい。電話に出た女性は、「そのことはどうやらウチのことらしいが・・・」と言った。早くも大当たりである。ラッキーな滑り出しだ。期待に胸がふくらんだ。だが、女性は「先代の主人はもう8年前に亡くなっていますけど」とあっさりと答えた。「遺品とかあります？　たとえばフィルムとか」となおも食いさがる私に「リストを書いたノートがあります。調べてみますので、題名を教えてください」とたぶん執拗に食い下がる私に渋々なのだろうと思うが、確かにそう約束されたので、監督名と題名を告げ、後日連絡をもらうことになった。ふくらんだ期待はしばしの間、宙吊り状態になった。待つのはあまり好きではないが、仕方がない。あとは放置プレイのつもりでしばしの間待つ間を楽しもうと辛抱強く心がけるだけである。

先方から3日後に連絡があった。思ったより早い返事である。そして・・・。

結果がどうであったかは、本欄では書かない。なかったとも言えないし、あったとも言えない、とだけ書いておこう。亡くなったコレクターの遺品を記したノートについても現在のところ想像に委ねたい。ただ2007年にシネマヴェーラ渋谷で行われた「妄執、異形の人々Ⅱ」で、青山定司監督『家獣』の上映されなかったことは、みなさんご存知のとおりである。

今回の件を通して、まあ自分としてはいつも似たようなことをボランティアとしてやっているわけだが、名画座の番組を組むのも大変だなあと思ったこと、フィルム・アーキヴィストの仕事もこんな調子で、こうやって期待と失望を繰り返しているだろうな、と改めて思ったことである。もちろん今さらながら映画蒐集・保存の必要性を痛感したのは言うまでもない。幸か不幸か、私は自主映画時代のほぼ全作品を観ている長崎俊一と大森一樹の8ミリ作品が決定的に破損して上映不可能になる現場にも立ち合わせているからである（前者は『造花の枯れる季節』で磁気サウンドトラックの剥がれ落ちによる破損、後者は『空飛ぶ円盤を見た男』シリーズの第3作『エネルギーマン』で、これはある事情のため監督自身により封印）。ともあれ、今からでも自主映画の公的機関による蒐集・保存・修復は急務の課題である。

この『家獣』探索に関しては、日比野さん、細谷さんに大変お世話になった。この場を借りて改めてお礼申し上げたい。細谷さんには同特集上映でやった中川信夫監督のテレビ作品『日本怪談劇場「牡丹燈籠　鬼火の巻・螢火の巻」』の件でもお世話になった。いろいろ調査した結果、民間の映画会社が上映用の16ミリプリントをすでに破棄していたことは残念であったが（フィルムセンターは所蔵している）、新しく作成したデジタル素材での上映が可能になった。内藤さん、あなたの無邪気な一言のために、私は自宅の中からほとんど外に出ずして、約7日間日本中のあっちこっちを走り回ることになったけれども、いろいろ勉強になりました。ありがとうございます。

実は、私は『スパルタの海』の上映をめぐっても同じような手順を踏むことになったのだが（『スパルタの海』上映を提案したのは私だが、『家獣』に比べれば、調査・交渉は格段に楽だった）、あとを引き継いだ内藤さんが『スパルタの海』はすでに結審が出ている事件をモデルにした映画でもあり、上映に際し、法的判断に基づく「お断り書き」をつけることのほか、いろいろな取り決めを現在の権利元である「戸塚ヨットスクールを支援する会」と交わしたのち、こちらは無事上映にこぎつけた。どこもびびって封印映画扱いしている西河克己の隠れた佳作が24年ぶりに劇場初公開され、それがシネマヴェーラ渋谷で行なえたことは、幸運以外の何者でもない。また内藤さんが弁護士であればこそ、法律的なことについての配慮もできたというべきだろう。この件に関しても、上映を快く許可してくれた「戸塚ヨットスクールを支援する会」の方々ほか大勢の方に協力していただいた。改めてお礼申し上げます。

そしてシネマヴェーラ渋谷で行われた「妄執、異形の人々Ⅱ」特集の終了後、予想外の方面からまた新たなる展開があった・・・（続く）

追記：この記録は、『家獣』探索のため、自分の手持ちの資料をベースに、インターネットと電話を駆使しただけのものであるが、私は無論ネット利用者がしばしば陥りがちな万能感に浸るサルにはなりたくないので、本探索で分かった青山定司監督のご実家と某健康食品販売店には、近々ご挨拶かたがたお礼に出向くつもりである。]]>
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    <title>鈴木英夫〈その10〉　インタビュー：司 葉子</title>
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    <published>2007-11-08T07:37:04Z</published>
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　今回は、鈴木英夫作品でキャリアウーマンからメロドラマのヒロインまで、多彩な役柄を演じ、監督に最も信頼されていた女優、司葉子さんにお話を伺った。
　司さんに鈴木英夫監督についてお話を伺うのは、同人誌「映画監督　鈴木英夫」(1995年初版)以来、3度目になる。日本映画を代表する名匠たちの作品に数多く出演なさった大女優だというのに、こちらの不躾な質問にも、ときおりいたずらっ子のように「うふふ」と笑って、気さくに答えてくださる司さんの人柄が、鈴木監督も好きだったに違いないと思う。
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        <![CDATA[<h4>■　私が照れると鈴木先生も照れていた</h4>

――司さんは、<em>『君死に給うなかれ』</em>(54／丸山誠治)に、有馬稲子さんが出演できなくなって、急遽OLをなさっていた司さんがスカウトされて、デビューされたのですよね？

<b>司</b>　そう。私は当時関西の毎日放送に勤めていました。お友達の紹介で「家庭よみうり」という雑誌の表紙になったことがあるのね。それを東宝の宣伝部の金田さんという方がご覧になり、プロデューサーの田中友幸さんや池部良さんに見せたらしいんです。それで池部さんが会社にいらして、私は専務室にお茶を出しに行きました。あとから考えると、それは面接だったのね。

――それで池部さんのご尽力もあって東宝に入社されて、有馬さんの代役としていきなりの主役デビューです。

<b>司</b>　それで、私、スタッフの方から《ネコいらず》と呼ばれてね。うふふ。(註：有馬稲子のアダナが「ネコ」なので)

――入社2作目が鈴木監督の<em>『不滅の熱球』</em>(55)。<em>『君死に給うなかれ』</em>に続いて池部さんとの共演ですね。

<b>司</b>　池部さんにはずいぶん助けていただきました。池部さんは新人女優養成所といわれていましたから。久我美子さん、久慈あさみさん、杉葉子さん、岡田茉莉子さん、寿美花代さん、越路吹雪さん・・・。まだデビュー間もない頃の女優さんと共演なさって新人女優をリードするという感じだったから、私の場合もそうじゃなかったんじゃないかしら。<em>『不滅の熱球』</em>の場合、私は池部さんの妻の役だから、池部さんのことを「あなた」と呼ばなきゃいけないんだけど、それが私、できなくて。恥しくってね。稽古を何度もやるのがイヤで、一発で本番OKにならないかなあと思っていました。そうだ、私が照れると、先生も照れちゃってたんじゃないかなあ。うふふ。それで池部さんがいろいろリードしてくださって。当時の映画界ではラブシーンの撮影というとずいぶん神経を使うんですよね。私は新人だったから、ラブシーンを撮る日になるとスタッフがみんなソワソワしているんで、なんでだろうという気持ちだったんで、逆に開き直った部分もあったりしてね。鈴木先生もラブシーンは苦手だったんでしょうね。照れ屋さんだから。

――鈴木さんは<em>『不滅の熱球』</em>の前年に東宝に移籍されてきたのですが、そのあたりの事情はご存知ですか？

<b>司</b>　藤本(眞澄)さんに請われて東宝にいらしたんでしょう？

――そうです。同じ頃、藤本さんの下からデビューされた監督に杉江敏男さんがいらっしゃるんですが、東宝で<em>『恋愛特急』</em>(54)という作品を鈴木・杉江の両監督の共同でお撮りになっています。鈴木さんも生前は「昔のことは杉江君に聞くといい」とおっしゃってましたが、杉江さんのほうが先に亡くなられて。

<b>司</b>　鈴木先生と杉江先生とじゃタイプが全然違いますね。杉江先生は甘いメロドラマや三人娘(ひばり・チエミ・いづみ)の映画みたいな明るい映画がお得意でしたから。華やかな娯楽映画という感じ。私もたくさん出させていただきました。鈴木先生はそれとは対照的でリアリズム。どっちかといえば華やかではなく地味。

――鈴木さんは東宝の中堅監督として活躍したわりには、あまり作品数がありませんね。そのあたりの事情はご存知ですか？

<b>司</b>　いや、よくは知らないです。

――最初の奥様を長い闘病の末、早く亡くされているらしいですが、その看病のため仕事をセーブしていた時期があるんじゃないかと金子(正且)プロデューサーがおっしゃってました。

<b>司</b>　奥様は女優でしたよね。美鳩まりさんでしたっけ。

――そうです。新興キネマの看板女優の一人ですね。それで新人監督の鈴木さんがスター女優と結婚したもんだから、当時は監督と女優の結婚はタブーですから、大映をクビになる遠因になったんじゃないかと。美鳩さんの方がスターだからギャラもいいわけですよ。「僕と結婚するなら、女房に食わせてもらいたくないから、女優を引退してくれ」って。それで女優を引退して専業主婦になったという・・・。

<b>司</b>　そういうところも鈴木先生らしいわね。頑固で不器用で。

――照れ屋で人見知りも激しい。

<b>司</b>　そうね。人前は苦手だったみたい。それなのに東宝の中堅監督の中では、新人はまず鈴木先生に預けて演技を教えてもらうというか、シゴかれるというか、そういうのがあったと思うんです。東宝では女優の映画というと、まず成瀬(巳喜男)先生でしょう。私も成瀬先生に「葉子ちゃん、30歳になったらいらっしゃい」と言われました。成瀬先生の映画にはちゃんと芝居のできる経験を積んでからじゃないと出させていただけなかった。鈴木先生はリアリズムのサスペンス映画もお得意ですけど、女性を主人公にしたメロドラマもお撮りになっていらっしゃるでしょう。新人は、鈴木先生にシゴかれて、演技を学んでいくというのがパターンだったんじゃないかなあ。私も<em>『不滅の熱球』</em>以降、たくさんの作品に出させていただきましたけど、演技の基礎は鈴木先生から教えていただいたと思っています。それは藤本さんの要望でもあったんじゃないでしょうか。あの当時は次から次で忙しかったものですから、なかなか演技の基礎を教えてもらうという時間もなかったのね。その中で鈴木先生は、じっくり時間をかけて新人に演技の基礎を教えていたんじゃないのかしら。

――どういった形で演技指導をなさるんですか？

<b>司</b>　鈴木先生にいちばんシゴかれたのは佐原の健ちゃん(佐原健二)。健ちゃんはもうかわいそうなぐらいシゴかれていました。「どこが悪いんだろう」と思いましたけど、何度やってもOKが出ない。そんなに厳しくやって、苛めるぐらいなら、使わなきゃいいのに、健ちゃんは鈴木先生の常連でしょう？　やっぱり鈴木先生としては見どころがあるからシゴキがいがあったということだったのかしら。池部良さんとか宝田明さんも、鈴木先生の映画にはよく出演していらっしゃるけど、健ちゃんみたいなことはなかったから、また違うご意見をお持ちなんでしょうけど。

――その《シゴく》というのは怒鳴りつけたりするわけではないんでしょう？　黒沢明さんみたいに「バカタレ！」とか。

<b>司</b>　そういうことはなかったですけど、私なんかもよく「デコスケ！」と呼ばれて何度も何度もやらされて。「デコスケ！　デコスケ！」って。「デコスケってどういう意味ですか？」なんて私も聞いたりしたんですけども、鈴木先生の場合は「私ができないからシゴかれてるんだ」って分かるんですね。小津(安二郎)先生は、「ここで止まって、ここでしゃべって」というように細かく指導されるけど、鈴木先生はだいたいの位置は決められるけど、「ああしろ」とか「こうしろ」とかはおっしゃらないの。ただ、その俳優にどういう芝居をすべきか、演じる役がそのときどういう状況にいるのかよく把握できるように、粘り強く説明するという演技指導でした。いちばん印象に残っているのは、石原慎太郎さんがお出になった<em>『危険な英雄』</em>(57)で、あれは確か石原さんの2本目ですよね？

――そうです。堀川(弘通)さんの<em>『日蝕の夏』</em>(56)の次です。

<b>司</b>　石原さんがしゃべる長い芝居のカットがあったんです。そうね、台本にして10行ぐらい。それで「どうされるのかなあ」と思っていたら、石原さんがそれを一気にしゃべって、なかなか上手におやりになったんですけど、鈴木先生は気に入らなかったみたいで、あとから編集でハサミを入れて短くされてましたね。鈴木先生も成瀬先生と同じように編集にいちばんの重きを置いていらしたんじゃないかしら。成瀬先生なんか極端なときは「どうでもいいよ、演技は」とおっしゃって、こっちが「もう一度やらしてください」とお願いしてもう一度やっても「さっきとどこが違うの」ってね。うふふ。演技はその場面さえあれば、あとは編集でどうとでもなるという自信があったんじゃないでしょうか。名監督というのは、形より心というのかなあ。それさえ出ていれば、どんな演技をしてもいいから、あとは編集でやるという自負があったと思いますね。新人の頃はそれが分からないから、心はただ一生懸命で精一杯だから、そこまで思いが及ばなかったけど。私のほうにも今ならもうちょっと巧くできるという気持ちはあるんですけどもね。

――キャメラマンの逢沢譲さんにもお話を伺ったんですが、鈴木さんはコンテを押し付けたりはしなくて、大体任せてくれたとおっしゃってました。

<b>司</b>　コンビを組んでいる監督とキャメラマンはそういう感じが多いですね。コンテ通りに構図を作って、その中で寸分の狂いもなく役者を動かしていくというのは小津先生だけなんじゃないかしら。最近、私が出た<em>『福耳』</em>(2003／瀧川治水)という映画は、テレビ出身の新人監督だったのね。そのときも監督の中で大体のコンテというのは出来てるんでしょうけども、芝居を固めていく中で、役者の側がいろいろ材料を提供して、それから監督との話し合いの中から、最良の演技なりキャメラ・ポジションを決めていくというやり方でした。それは今も昔も変わらないんじゃないじゃないでしょうか。

――役作りについてはいかがですか？　たとえば<em>『その場所に女ありて』</em>が作られた時期というのは映画界も増産体制で、なかなか役作りに時間を取るということができなかったと思いますが。

<b>司</b>　私も二本立ての真っ只中の頃に入社したものだから、とても忙しかった。その頃は3本ぐらいは掛け持ちするのが当り前の時代でした。私が「とても3本も掛け持ちできません」と言うと、体が空くまで待ってくれたの。それでセリフは現場で覚えてパッと撮るようなこともやりました。早撮りで有名だった渡辺邦男監督や青柳信雄監督なんかはほんとに早かったのよ。でも<em>『その場所に女ありて』</em>のときは掛け持ちをしなかったの。ちゃんと準備に1週間ぐらいはいただいたと思います。映画の撮影というのは何日もかかるわけだから、やっているうちにだんだんその役がどういう役なのか分かってくるんです。台本も何度も読むわけだし。監督も大事なところを最初に撮らないですよ。やっぱり大事なところは撮影何日目とか、俳優が役を掴んだ頃合に設定してありますから。だから最初の1週間は重要なところは撮らないの。でも中には「あれはもう一度撮り直してくれないかしら」と思うこともありますけどね。<em>『紀ノ川』</em>(66／中村登)は最初の1週間が和歌山ロケだったのね。セットではなくロケだったから、私が和歌山の風土とか人とかに馴染む時間があった。だから役に自然になりきることができて、やりやすかった。映画はそういう計算をしてスケジュールが組んであるものなの。

――<em>『その場所で女ありて』</em>では司さんは広告代理店のキャリアウーマンで、煙草を吸って、麻雀をやったりします。酔っ払って銀座を歩く場面もあります。そういう役づくりに関してはいかがですか？

<b>司</b>　酔っ払って歩くところは、あの映画の見せ場でもあるから、自分がお酒を飲んだときとか、他人が酔っ払ったときの様子を観察したりとか、他の映画でそういう場面があったら参考にしたりとかしてね。でも現場でその通りできるかどうかは違うんですけども、撮っている最中に、急遽ここのところは私の酔っ払って歩くところを後ろからロングで撮ろうということになったのかな。私の芝居が鈴木先生の思うようにいかなくて、そうやって撮ることを思いつかれたんじゃないでしょうか。うふふ。<em>『その場所に女ありて』</em>をクランクインするときは、私は体調が悪くてね。<em>『小早川家の秋』</em>(61、小津安二郎)の次の年でしょう？　ちょっと痩せちゃって入院したいなあと思っていたんですね。それで一度役をお断りしたんです。でもそういうわけにはいかなくて、藤本さんに懇願されて出演したんじゃなかったかなあ。だから余計に軽い場面から撮影に入ったんじゃないかと思いますね。

――そういえば、司さんが出ていらっしゃるこの頃の他の映画に比べて、司さんはいくぶん痩せていらっしゃる感じがしていました。

<b>司</b>　でも、今思うとあれでよかったと思います。男社会で負けずにストレスをかかえて生きているキャリアウーマンって感じがするでしょう？　逆にギスギスした感じがよく出ていて。うふふ。

――<b>司</b>さんといえば、クール・ビューティの形容がありますからね。

<b>司</b>　私、「ゲラ子」と言われるぐらいよく笑うんだけど、真面目な顔をするとああなっちゃうの。クール・ビューティって言われると「私がなんでクールなの？」ってずっーと思ってました。

――鈴木さんの映画では<em>『花の慕情』</em>(58)でも司さんはニコリともせずに、クールにメロドラマのヒロインを演じていらっしゃいました。

<b>司</b>　緊張するとああなっちゃうの。うふふ。あの映画は安達瞳子(とうこ)さんがモデルですね。

――吉屋信子さんが原作。戦前、吉村公三郎さんが監督された<em>『花』</em>(41)のリメイクですね。

<b>司</b>　ええ、そうです。東宝でメロドラマを作ろうとしていた時期に作られた映画の1本ですね。

――リメイク版では草月流が全面協力で、勅使河原霞さんが指導なさってますね。司さんも勅使河原霞さんに生け花を習っていらっしゃったんでしょう？

<b>司</b>　生け花は2年ぐらい習っただけ。

――鳥取にいらっしゃるときですか？

<b>司</b>　高校時代は鳥取の草月流の先生に習っていて、上京してからは三田の家元の道場に通って・・・。それも半年ぐらいかな。私の姉が大阪で先生をしていたから、そんな関係で私も草月流を習っていたんです。当時は彗星のごとく勅使河原蒼風さんが出ていらして、大変注目を集めていらした時期です。霞さんはその娘さんですね。私が演じた主人公のモデルになった安達瞳子さんは安達流の家元。

――映画で司さんが実際に花を活けられている場面はありますか？

<b>司</b>　演技の場面だけ。とても私の活けた花なんて映画の画面で見せられないから。でも、私、お花は活けられます。うふふ。

――メロドラマに出演なさるのはいかがですか？

<b>司</b>　このあとも東宝が女優を主人公にしたメロドラマを作ろうとして、結局製作中止になった映画があるんです。その映画はお正月映画で、私が主役に決まって、スタッフが九州ロケに出かける準備をしているときに、中止になったのね。なんていったのかな。戦前に東宝が製作した映画のリメイクで。私が人妻で不倫の話だったので、どうしても私がイヤだってゴネて、流れちゃったんです。

――それは<em>『良人の貞操』</em>(37／山本嘉次郎)のリメイクですね。

<b>司</b>　そうそう。<em>『良人の貞操』</em>。

――戦前のは入江たか子さんが主演で。

<b>司</b>　そうそう。入江たか子さん。

――松竹や日活の老舗映画会社が団結して東宝(実際はその前身であるPCL)に圧力をかけたので、東宝が危機的状態になっていたときの映画です。そんなときにこの映画が大ヒットしたので、東宝が起死回生したという。

<b>司</b>　よくご存知ね。でも、私、不倫はイヤだなんてよく言ったなあと、今思うんだけど。

――監督は筧正典さんで予定されたとか。もともと筧さんは三島由紀夫さんの<em>『燈台』</em>(59)を監督するはずだったんですけど、<em>『良人の貞操』</em>を監督することになって、代わりに<em>『燈台』</em>は鈴木さんが監督したと聞いています。

<b>司</b>　そうだったの！　この間、大森健次郎監督を偲ぶ会があったの。大森さんは鈴木先生の助監督もなさったことがあるんじゃないかしら。<em>『岸壁の母』</em>(76)という映画があったでしょう。その映画の一場面でとってもいい場面があったのね。それを見ると、大森さんは黒沢先生にも就いていらしたけど、やっぱり成瀬先生や鈴木先生の流れだなあと思いましたね。東宝は黒沢先生と成瀬先生という大きな二つの流れがあるけれど、藤本さんは成瀬先生のほうなのね。でも東宝以外からもたくさん監督を引っ張ってこられましたよね。鈴木先生もそうだけど、松林宗恵監督とか。松林さんはまた別の流れですね。

――松林さんはもともと東宝に入社されて、新東宝から東宝に戻られた方ですからね。鈴木さんと松林さんの両監督の助監督だった岩内克己監督に伺ったんですが、岩内さんは鈴木さんのことを反面教師だとおっしゃってました。情感や余韻を断ち切っていることに異論があると。

<b>司</b>　そこが鈴木先生らしいところ。逆に余韻のありすぎる監督もいっぱいいらっしゃるじゃないですか。うふふ。思い切れないのね。成瀬先生もいつもいいところでスパッと切るでしょう。鈴木先生の映画はそういうところがいいですね。あれも照れ屋だったからなのかあ。うふふ。

――鈴木さんとは東宝を辞められてからも、お会いになることはありましたか？

<b>司</b>　渋谷によく行かれる喫茶店があったんでしょう？

――ええ。最初は成瀬さんに連れていってもらったそうです。それからお気に入りになったと。

<b>司</b>　お亡くなりになる前も金子さんと、そこでよくコーヒーを飲んでいらしたそうですね。鈴木先生も金子さんもお酒を召し上がらないから。一度、私もご一緒したかったんですけど、実現しませんでした。私は舞台があると必ず鈴木先生に見ていただいてたんです。でも先生は何も感想をおっしゃらないの。逆に私は「あそこはどうですか？」と聞いても何もおっしゃらない。今思うと、なんで先生に見に来てもらっていたんだろうと思うし、それならそれでなんでもっと先生に感想をちゃんと聞いておかなかっただろうと、それがちょっと残念に思います。

2007年3月23日　成城学園のご自宅にて
インタビュアー・構成：木全公彦]]>
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    <title>9月のCS・BSピックアップ</title>
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    <published>2007-09-14T07:21:06Z</published>
    <updated>2007-09-21T05:16:16Z</updated>
    
    <summary>　映画がナマモノだと思うのは、たとえば現在邦画界を席巻している難病純愛ものブーム...</summary>
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        　映画がナマモノだと思うのは、たとえば現在邦画界を席巻している難病純愛ものブームは、あと10年もすればあれは一体何だったのか理解できない現象になっているに違いないということである。それでいえば、現在の視点から往年のヒット映画シリーズを考えた場合、私にとってその最大の謎は、三益愛子主演の「母もの」シリーズが何本を作られ、大ヒットしたという事実である。
        <![CDATA[■　<a href="http://www.nihon-eiga.com/#top">日本映画専門チャンネル</a>では、その三益愛子主演の大映「母もの」映画全31作が一挙放映される。母ものの源流は、ヘンリー・キングの<em>『ステラ・ダラス』</em>(25)だと言われている。個人的にはこれにライオネル・バリモアが監督した<em>『マダムX』</em>(29)も加えたいところだが、これらの作品の影響は戦後<em>『山猫令嬢』</em>(48)を嚆矢とする大映母もので一挙に大流行する。大映では以後10年間で31本の作品が製作され、大映東京撮影所の看板シリーズとして会社の屋台骨を支えた。このシリーズのヒットを記念して大映は撮影所内に「母燈籠」なるモニュメントを作ったぐらいなのである。また、あまり知られていないが、この流行は大映のみならず松竹や東宝などの他社でも同様の映画が製作されたほど影響があった。9月に放映するのは以下の16作品。

<div id="caption">
<ul id="caption">
<li><em>『山猫令嬢』</em>(48／森一生) </li>
<li><em>『母』</em>(48／小石榮一)</li>
<li><em>『母紅梅』</em>(49／小石榮一)</li>
<li><em>『母三人』</em>(49／小石榮一)</li>
<li><em>『母恋星』</em>(49／安田公義)</li>
<li><em>『流れる星は生きている』</em>(49／小石榮一)</li>
<li><em>『母燈台』</em>(49／久松静児)</li>
<li><em>『母椿』</em>(50／小石榮一)</li>
<li><em>『拳銃の前に立つ母』</em>(50／小石榮一)</li>
<li><em>『姉妹星』</em>(50／野淵昶)</li>
<li><em>『母月夜』</em>(51／佐伯幸三)</li>
<li><em>『母千鳥』</em>(51／佐伯幸三)</li>
<li><em>『母人形』</em>(51／佐伯幸三)</li>
<li><em>『母子船』</em>(51／吉村廉)</li>
<li><em>『瞼の母』</em>(52／佐伯幸三)</li>
<li><em>『呼子星』</em>(52／吉村廉)</li>
</ul>
</div>

　「三倍泣かせます」という<em>『母三人』</em>のコピーは今も有効な傑作コピーだと思うが、やはり現在このシリーズを観ると、古色蒼然とした感じを否めない。松竹の擦れ違いメロドラマがそうであるように、そのクサさばかりが目に付いてしまう。1990年代に伝説の名画座スタジオamsで「母もの」の連続上映が組まれたことがあったが、いくら映画なら何でも観る映画獣系常連客も連日日替わりで2、3本のペースで上映されるワンパターンのお涙ちょうだい劇にいささか辟易してぐったりしていた記憶がある。しかしハナっからバカにして気が乗らないながらも観ていくと、たとえば大陸からの引き揚げを背景にした<em>『流れる星は生きている』</em>なんかはなかなか捨てがたいし、10月に放映される<em>『母を求める子等』</em>(56)、<em>『母の旅路』</em>(58)をあの清水宏が監督しているということから、このメロドラマのあり方はなかなか興味深いのである。清水宏といえば、まずまずの佳作であった前者はともかく、後者はかなりひどい出来だったと思うが、この<em>『母の旅路』</em>が今回放映される<em>『母紅梅』</em>のリメイクであるということを考えると、改めて見直して是非この機会に比較しておきたいと思う。
また、小石榮一という監督についても、衣笠門下から出発し、戦前は傾向映画を監督したこともあるのに、戦後はこういう「母もの」専科の監督になってしまったのはどういうわけなのか、興味は尽きない。

■　「東宝娯楽シアター」からはサラリーマン喜劇が4本。

<div id="caption">
<ul id="caption">
<li><em>『ニッポン無責任時代』</em>(62／古澤憲吾)</li>
<li><em>『喜劇 駅前団地』</em>(61／久松静児)</li>
<li><em>『社長漫遊記』</em>(63／杉江敏男)</li>
<li><em>『続社長漫遊記』</em>(63／杉江敏男)</li>
</ul>
</div>

　東宝のドル箱シリーズをピックアップしたラインナップである。植木等の「無責任シリーズ」といえば、すぐに第1作<em>『ニッポン無責任時代』</em>の名が挙がるが、シリーズが進むにつれてアナーキーさが薄れていく中で、やはりこの第1作は文句なしにおもしろい。古澤憲吾の特徴である「いきなりミュージカル」もたっぷりと堪能できる。一方、金井美恵子に日本映画の下品さの代名詞として槍玉に挙げられている「社長シリーズ」は(本当に観てるのかしらん？)、その大半を松林宗恵が監督を担当しているが、今回は器用な職人監督である杉江敏男の監督作を2本。森繁をはじめとする常連のアドリブ合戦が楽しい。パーッとやりましょう！

■　「甦る大映京都時代劇」特集では、黒澤明や溝口健二の国際賞受賞をきっかけに黄金時代を迎えることになる大映京都撮影所のプログラム・ピクチュア時代劇を特集する。

<div id="caption">
<ul id="caption">
<li><em>『月形半平太』</em>(56／衣笠貞之助)</li>
<li><em>『地獄花』</em>(57／伊藤大輔)</li>
<li><em>『江戸っ子祭』</em>(58／島耕二)</li>
<li><em>『口笛を吹く渡り鳥』</em>(58／田坂勝彦)</li>
<li><em>『天竜しぶき笠』</em>(58／渡辺邦男)</li>
<li><em>『歌麿をめぐる五人の女』</em>(59／木村恵吾)</li>
<li><em>『かげろう笠』</em>(59／三隅研次)</li>
<li><em>『白子屋駒子』</em>(60／三隅研次)</li>
<li><em>『二人の武蔵』</em>(60／渡辺邦男)</li>
<li><em>『小太刀を使う女』</em>(61／池広一夫)</li>
<li><em>『すっとび仁義』</em>(61／安田公義)</li>
<li><em>『飛び出した女大名』</em>(61／安田公義)</li>
<li><em>『雑兵物語』</em>(63／池広一夫)</li>
<li><em>『桃太郎侍』</em>(63／井上昭)</li>
<li><em>『駿河遊侠傳 賭場荒し』</em>(64／森一生)</li>
<li><em>『駿河遊侠傳 破れ鉄火』</em>(64／田中徳三)</li>
<li><em>『駿河遊侠傳 度胸がらす』</em>(65／森一生)</li>
<li><em>『鼠小僧次郎吉』</em>(65／三隅研次)</li>
<li><em>『やくざ坊主』</em>(67／安田公義)</li>
</ul>
</div>

　特に目玉はないが、雑多なプログラムの中に日本初のヴィスタヴィジョン映画でありながらソフト化されていない<em>『地獄花』</em>が入っていたり、子母澤寛原作のもうひとつの「次郎長三国志」である<em>『駿河遊侠傳』</em>シリーズが入っていたり、大映ミュージカル<em>『飛び出した女大名』</em>があったり、三隅研次版のリメイクである井上昭版の<em>『桃太郎侍』</em>がラインナップされていたりと、バラエティに富む作品がずらり並んでいるのが嬉しい。長谷川一夫、山本富士子、市川雷蔵、勝新太郎など、大映のトップスターのスターがスターらしかった時代のオーラにも注目したい。

■　新藤兼人特集からは10本。そのうち3本は未ソフト化作品で観る機会も少ないレア作品である。

<div id="caption">
<ul id="caption">
<li><em>『悲しみは女だけに』</em>(58)</li>
<li><em>『花嫁さんは世界一』</em>(59)</li>
<li><em>『らくがき黒板』</em>(59)</li>
</ul>
</div>

要チェック！

■　<a href="http://www.necoweb.com/neco/index.html">チャンネルNECO</a>では、「ようこそ新東宝の世界へ」から3本。

<div id="caption">
<ul id="caption">
<li><em>『地平線がぎらぎらっ』</em>(61／土居通芳)</li>
<li><em>『女王蜂の怒り』</em>(58／石井輝男)</li>
<li><em>『風雲急なり大阪城・真田十勇士総進軍』</em>(57／中川信夫)</li>
</ul>
</div>

　<em>『地平線がぎらぎらっ』</em>は新東宝末期に狂い咲いた悪党映画の佳作。文句なしに土居通芳の最高作である。丘の上の一本の木というのはなんと映画的なんだろうか！　<em>『女王蜂の怒り』</em>は4作作られた女侠客ものの先駆的シリーズの最高作。侠客ものでありながら、石井輝男のバタくさい演出はどうだ。キレのいい編集もすばらしい。<em>『真田十勇士総進軍』</em>は未ソフト化のレア作。映画音楽の代わりに全編童謡を使った奇想に大蔵貢が激怒したとか。合戦シーンに「桃太郎」が流れるなんぞかなり大胆な発想だと思うのだが。

■　「名画 the NIPPON」からは4本。

<div id="caption">
<ul id="caption">
<li><em>『天使の時間』</em>(57／大庭秀雄)</li>
<li><em>『青い山脈　新子の巻・雪子の巻』</em>(57／松林宗恵)</li>
<li><em>『夜の蝶』</em>(57／吉村公三郎)</li>
<li><em>『大日本コソ泥伝』</em>(64／春原政久)</li>
</ul>
</div>

　銀座のライバル関係にある実在のバーのマダムをモデルにした川口松太郎原作の映画化<em>『夜の蝶』</em>はニュープリント。片方のモデルのマダムについては、昨年評伝「おそめ」(石井妙子著、洋泉社)が出版されて評判になったばかり。実は、ヒット作ではあっても吉村にしては平凡な出来の映画より、この評伝のほうがよほどおもしろかったというのが本音ですが。
<em>『青い山脈』</em>は大ヒットした今井正版のリメイク。司葉子と宝田明の先生、久保明と雪村いづみの青春コンビなど、オリジナルの脚本をそのまま使いながら、オリジナルにあった民主主義謳歌のクサさが希薄になっていて好感が持てる。この作品は5回映画化されているが、最後のものを除いてすべて時代設定を最初の映画に合わせてあって、どれもそれなりにおもしろく見られる出来になっているが、最後の版(斎藤耕一監督)だけ時代を現代に置き換えてあって、FAXもある時代にどうしてラブレター事件なのかまるで理解できない愚作になっていて、リメイクというと安易に時代を現代に再設定する場合の難しさを感じさせた。それなのに主題歌と小道具の自転車は全作共通なのね。

■　<a href="http://www.eigeki.co.jp/eigeki/">衛星劇場</a>では、「日本映画監督列伝　田中徳三自選集」がある。田中徳三といえば、黒澤、溝口の助監督を務め、「グランプリ助監督」といわれたが、本来の師匠は森一生である。60年代には森一生、三隅研次、池広一夫、安田公義、井上昭らと並んで大映京都時代劇のローテーションを担った。

<div id="caption">
<ul id="caption">
<li><em>『悪名』</em>(61)</li>
<li><em>『続・悪名』</em>(61)</li>
<li><em>『鯨神』</em>(62)</li>
<li><em>『宿無し犬』</em>(64)</li>
</ul>
</div>

いずれも田中徳三の代表作である。<em>『悪名』</em>は長く続いたシリーズであるが、このシリーズは正直なところこの2本だけでじゅうぶん。同じように「犬」シリーズの中では、藤本義一が村野鉄太郎を擁護しようとも、今回放映される田中徳三の<em>『宿無し犬』</em>がいちばん出来がいい思う。

■　「渋谷実生誕100年記念特集」は今回がPart9。

<div id="caption">
<ul id="caption">
<li><em>『狐』</em>(39)</li>
<li><em>『南風』</em>(39)</li>
</ul>
</div>

　<em>『狐』</em>が激レア。27分という掌編であるがゆえにソフト化もされず上映の機会もなかったと思われる。要チェック。

■　「メモリーズ・オブ・若尾文子」は、Part27。

<div id="caption">
<ul id="caption">
<li><em>『四十八歳の抵抗』</em>(56、吉村公三郎)</li>
<li><em>『女は二度生まれる』</em>(61、川島雄三)</li>
<li><em>『勝利と敗北』</em>(60、井上梅次)</li>
</ul>
</div>

　石川達三のベストセラーの映画化である<em>『四十八歳の抵抗』</em>は映画になると奇怪なだけの凡作になってしまった。メフィストフェレス役の船越英二には爆笑できるけど。<em>『女は二度生まれる』</em>は出来不出来の激しかった川島が唯一大映で撮った3本だけは全部傑作であったけれど、その大映出向作品の最初の作品となる。

■　「新銀幕の美女シリーズ」は香川京子自選集である。

<div id="caption">
<ul id="caption">
<li><em>『しいのみ学園』</em>(55／清水宏)</li>
<li><em>『ひめゆりの塔』</em>(53／今井正)</li>
<li><em>『近松物語』</em>(54／溝口健二)</li>
<li><em>『山椒大夫』</em>(54／溝口健二)</li>
<li><em>『赤い陣羽織』</em>(58／山本薩夫)</li>
<li><em>『東京のヒロイン』</em>(50／島耕二)</li>
<li><em>『東京物語』</em>(53／小津安二郎)</li>
</ul>
</div>

　どれも巨匠による名作ばかり。香川京子は新東宝に入社したあと、早くにフリーになったので、5社協定に縛られずに各社の映画に出演できた。しかし彼女がこれだけ巨匠に重用されたのはそれだけでなく、成瀬巳喜男がいうように「クセがない」からなのだろう。今回のラインナップに<em>『東京のヒロイン』</em>が入っているのは、バレエを習っていた彼女にとってバレエを踊る場面があったので思い出深いとか。長谷川公之の脚本デビュー作である。

■　「ニッポン無声映画探検隊　第18回」は、傑作時代劇2本。

<div id="caption">
<ul id="caption">
<li><em>『鯉名の銀平　雪の渡り鳥』</em>(31／宮田十三一)</li>
<li><em>『砂絵呪縛』</em>(27／金森万象)</li>
</ul>
</div>

前者は阪妻プロの数少ない残存作品のひとつ。長谷川伸の名作の映画化である。後者はマキノ御室の作品。月形龍之介の最初期の代表作である。

■　市川雷蔵と勝新太郎特集からは、

<div id="caption">
<ul id="caption">
<li><em>『千姫』</em>(54／木村恵吾)</li>
<li><em>『二十九人の喧嘩状』</em>(57／安田公義)</li>
<li><em>『遊太郎巷談』</em>(59／田坂勝彦)</li>
<li><em>『とむらい師たち』</em>(68／三隅研次)</li>
<li><em>『御用牙』</em>(72／三隅研次)</li>
</ul>
</div>

　<em>『とむらい師たち』</em>の摩訶不思議な展開に注目。<em>『御用牙』</em>はシリーズ第1作。劇画の映画化らしくデフォルメが楽しいが、2作目以降の破天荒さのほうをあえて評価したい。

■　「リクエスト・アワー」からは、

<div id="caption">
<ul id="caption">
<li><em>『3000キロの罠』</em>(71／福田純)</li>
<li><em>『魚河岸帝国』</em>(52／並木鏡太郎)</li>
<li><em>『山まつり梵天記』</em>(42／石田民三)</li>
<li><em>『思春期』</em>(52／丸山誠治)</li>
<li><em>『雪の炎』</em>(55／丸林久信)</li>
<li><em>『僕は独身社員』</em>(60／古澤憲吾)</li>
</ul>
</div>

　目玉作品は<em>『思春期』</em>。イタリア映画<em>『明日では遅すぎる』</em>(50／レオニード・モギー)がもたらしたいわゆる「性のめざめ映画」として続々と製作された作品の1本である。この手の映画の流行は、<em>『娘はかく抗議する』</em>(52／川島雄三)を経て、<em>『十代の性典』</em>4部作(53～54)で一挙に社会問題化し、やがて太陽族映画の登場でさらにエスカレートしていく。続編<em>『続思春期』</em>(53／本多猪四郎)は10月に放映予定。

■　「日活ロマンポルノ傑作選」は「藤田敏八没後10年記念特集で4本を放映。

<div id="caption">
<ul id="caption">
<li><em>『エロスの誘惑』</em>(72)</li>
<li><em>『エロスは甘き香り』</em>(73)</li>
<li><em>『危険な関係』</em>(78)</li>
<li><em>『八月はエロスの匂い』</em>(72)</li>
</ul>
</div>

　藤田敏八とロマンポルノは必ずしも相性がよかったといえないが、未DVD化の作品もあるので、録画しておきたい。
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    <title>鈴木英夫〈その9〉　インタビュー：池部良&amp;#9313;</title>
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    <published>2007-08-21T06:29:58Z</published>
    <updated>2007-08-21T07:32:38Z</updated>
    
    <summary>　前回は、池部良さんにインタビューし、『殺人容疑者』にクレジットされている《船橋...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://eiganokuni.com/blog/kimata/">
        <![CDATA[<a href="http://eiganokuni.com/blog/kimata/image/1.html" onclick="window.open('http://eiganokuni.com/blog/kimata/image/1.html','popup','width=538,height=400,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://eiganokuni.com/blog/kimata/image/1-thumb.jpg" width="70" height="52" alt="" /></a><p>　前回は、池部良さんにインタビューし、<em>『殺人容疑者』</em>にクレジットされている《船橋比呂志》こと蜷川親博について、お話を伺った。少し時間があったので、池部さんが<em>『不滅の熱球』</em>(55)、<em>『大番頭小番頭』</em>(55)、<em>『脱獄囚』</em>(57)、<em>『黒い画集・第二話／寒流』</em>(61)の計4本の鈴木英夫作品に出演なさっていることもあり、池部さんが企画され、鈴木英夫監督とはじめて一緒に仕事をされることになった<em>『不滅の熱球』</em>についても伺った。</p>]]>
        <![CDATA[<p><em>『不滅の熱球』</em>は、上映プリントがあるにもかかわらず、ほとんど上映される機会もなく、地上波・衛星放送等でも未放送の作品であるが、この原稿を書き始めたら、ちょうど8月にNHK－BSでオンエアされるというニュースが飛び込んできた。この原稿が掲載される頃はすでにオンエアされているはずだが、私も久々に再見することができて嬉しい限りである。日本映画で野球映画といえば、丸山誠治監督の<em>『男ありて』</em>(55)が有名だが、本作は同じ年に製作され、同じ菊島隆三の脚本作品でありながら言及されることの少ない映画である。しかし、日本球界にその名をとどめる沢村栄治投手の半生記と聞けば、野球ファンは必見といえる。それだけにとどまらず、たとえば1950年代までのハリウッドの野球映画のほとんどがホームドラマであったり、夫婦愛を描いた作品であったように(<em>『甦る熱球』</em>、<em>『打撃王』</em>など)、<em>『男ありて』</em>同様にその系譜にある野球映画なので、本当のところは野球に興味のない方にも是非という感じで、見逃した方は再放送でもいいから、ひとりでも多くの方に観ていただきたいと思っている。</p>

<h4>■　<em>『不滅の熱球』</em>について</h4>

<p>――池部さんは、鈴木英夫監督の作品に<em>『不滅の熱球』</em>とか<em>『脱獄囚』</em>とか<em>『黒い画集・第二話／寒流』</em>とか、いろいろ出演なさっていますけど、やはりいちばん印象深いのは最初に出演なさった<em>『不滅の熱球』</em>でしょうか。</p>

<a href="http://eiganokuni.com/blog/kimata/image/2.html" onclick="window.open('http://eiganokuni.com/blog/kimata/image/2.html','popup','width=247,height=449,scrollbars=no,resizable=no,toolbar=no,directories=no,location=no,menubar=no,status=no,left=0,top=0'); return false"><img src="http://eiganokuni.com/blog/kimata/image/2-thumb.jpg" width="70" height="127" alt="" /></a>
<p><b>池部</b> そうだね。これは僕が企画した映画。ホンは誰が書いていました？</p>

<p>――菊島隆三さんです。</p>

<p><b>池部</b> ああ、そうだ。原作は当時コミッショナーをやっていた鈴木惣太郎さんが毎日新聞に連載していたもの。それで鈴木惣太郎さんがこれを映画化しない？と提案してきた。</p>

<p>――面識はあったんですか？</p>

<p><b>池部</b> いや、僕は直接面識があったわけではないけども、僕の親父が当時毎日新聞と契約していて、それで僕が呼び出されたのか偶然会ったかして、とにかく読んでみましょうと。そうしたらこれがおもしろい。それでプロデューサーの佐藤一郎さんに提出した。ホンは菊島さんがいいと僕は思っていたのね。菊さんは僕が学生時代、シナリオ研究所というところに通っていたんだけど、僕がそこを卒業したあとに彼が入学してきたという関係で、いうならば彼は僕の後輩だね。そういうわけで僕は菊さんとは大変仲がよかった。彼は足が悪いでしょう。</p>

<p>――そうだったらしいですね。もうその頃からかなり悪かったんですか？</p>

<p><b>池部</b> そうね。だけどもみんな彼の足のことを気づかったりするでしょう。僕は口が悪いから、「もっと早く歩けよ」とか平気で言ったりするから、彼がそういう遠慮のないところを気に入ってくれて仲良くなった。</p>

<p>――<em>『不滅の熱球』</em>を鈴木英夫さんが監督することになった経緯については？</p>

<p><b>池部</b> これはもう会社から指名されたんだろうね。キャスティングは僕も少しタッチしていて、相手役に司葉子君を推薦したのは僕。</p>

<p>――司さんは池部さんが芸名の名づけ親ですからね。</p>

<p><b>池部</b> そう。まだデビューしたての新人。</p>

<p>――千秋実さんは？</p>

<p><b>池部</b> それは合議で決まったのかな。彼は僕よりちょっとは野球を知っていたね。</p>

<p>――鈴木監督は野球ファンでしょう。アンチ巨人だったらしいですけど。</p>

<p><b>池部</b> それは知らないなあ。</p>

<p>――観戦するだけで、映画人の野球大会に参加してご自身も野球をしていたかどうかは知らないんですけども。ところで、池部さんはピッチング・フォームを沢村に似せるため、現役の巨人軍の全面バックアップで練習したとか。</p>

<p><b>池部</b> 現役の巨人軍じゃなくて、沢村とバッテリーを組んでいた内堀ってキャッチャーが指導してくれた。内堀さんは当時ジュニア・ジャイアンツの監督をやっていた。沢村というのはピッチング・フォームが特徴的で、投げるときに足が頭のてっぺんまで上がっちゃう。打者のタイミングを狂わせるためであったり、球種を読みとられないようにするためでもあったんだけど、それを覚えるのが大変でね。最初は3ヶ月ぐらい練習するつもりだったけれど、時間がなくて1ヶ月ぐらいだったかなあ。多摩川の巨人軍の合宿所で練習したあと、千秋君を誘って――彼はイヤがっていたんだけど、千葉県の先にある那古海岸で2人きりで合宿した。朝2時間、昼からは2時間。というのは夏の暑い盛りで、それ以上はくたびれちゃう。</p>

<p>――池部さんは野球の名門である立教大学の出身なのに、野球を全然知らなくて、鈴木英夫監督によれば、クランク・イン前に池部さん、千秋さん、それに鈴木監督とで、一緒にプロ野球を観戦したとか。</p>

<p><b>池部</b> 池部　そういうことはあったかもしれないなあ。よく覚えていない。</p>

<p>――鈴木監督は、池部さんがあんまり野球を知らなくて驚いたと。でも、役者というのはすごいもので、クランク・インしてみると、池部さんの投げた球が狙ったところへズバッと決まるし、フォームも沢村そっくりで驚いたとおっしゃってました。</p>

<p><b>池部</b> (笑)。それは嬉しいね。多少自慢させてもらうと、映画だから投げるところと、キャッチャーが受け止めるところを切り返して撮ることもできるわけ。でもそれじゃ醍醐味がないじゃない。やっぱりちゃんとごまかしのない画面で見てもらいたいと。後楽園でかなりの数のエキストラを集めて撮影したのね。プロから見ればどうしょうもないションベンボールかもしれないけど、本番で3球投げてそれがみんなストレートで決まったのね。鈴木さんも喜んでくれた。</p>

<p>――たったの3週間でこれだけのことがやれるのは池部さんがすごいのか、役者っていう人種がすごいのかって、しきりに感心されてました。</p>

<p><b>池部</b> それは僕がすごいんでしょう(笑)。でもそれは嬉しいことですね。</p>

<p>――司葉子さんは入社2本目ですから、言っちゃ悪いんですがものすごく下手で。見ていてハラハラしました。</p>

<p><b>池部</b> (笑)。もうおかしかったね。新妻の役なんだけども、照れちゃってできないんだよね。</p>

<p>――鈴木さんがかなりシゴいたみたいですね。司さんは池部さんが名づけ親ですから、池部さんがアドバイスをするとかは？</p>

<p><b>池部</b> 僕はあんまり他人に教えることが好きじゃないんで、そういうことはしなかったけれども、鈴木さんの言ってることが彼女に分からないときは僕が噛み砕いて伝えたことはある。</p>

<p>――ラブシーンができなくて、鈴木さんが「デコスケ！」と怒鳴りつけたそうですけど。</p>

<p><b>池部</b> そうだね。あれも苦労したんだよ。鈴木さんが司君の下手さに閉口してたのに、ラブシーンになると照れちゃってもうこれが全然できないんだ。そこで「葉子ちゃんね、俳優というのは君自身じゃなくて、今は沢村投手の奥さんなんだから、パッと役になりきらなきゃ女優になれないよ」と僕が言ったのね。そうしたら鈴木さんが「良ちゃん、よく言ってくれた」と誉めてくれた。</p>

<p>――ラストシーンはジャングルで倒れる場面でしたね。池部さんの戦争体験と重なる場面でもあるんですが。</p>

<p><b>池部</b> 確か横移動で撮っていたんじゃないかな。</p>

<p>――そうです。ジャングルでフラフラになって歩いている池部さんをキャメラがゆったりとした横移動で全身を撮っていって、それから池部さんが倒れ込む、というような場面だったと記憶しています。</p>

<p><b>池部</b> 沢村は2度応召されているんだけど(註：実際は3度)、この映画は野球映画ではなくて、ホームドラマであり、彼の半生を描いた作品でもあるから、ジャングルで倒れる場面で終わるんじゃなくて、最後のカットは後楽園を映して歓声を流して終わったほうがいいんじゃないかって提案したら、鈴木さんは喜んじゃってね。</p>

<p>――俳優イジメで有名な鈴木さんによほど気に入られたんですね。</p>

<p><b>池部</b> そうかな。僕には厳しいとかあんまりなかったなあ。まあ、人によってはそう思う人もいたかもしれない。<em>『脱獄囚』</em>(57)のときだったと思うけど、そのときは佐藤允君がやられていた。ほかの映画で佐原健二君もずいぶんやられたみたいだね。でも鈴木さんにやられる方もそれなりの原因はあるんだよ。僕は好きな監督のひとりでした。なぜかというと鈴木さんは演技のつけ方がものすごくうまかった。こっちがよく分かるように指導してくれた。自分でやって見せるっていうわけじゃないんだけどね。それとタテの構図で芝居をさせることが多かったから、できた画面を見ると奥行きがあって、重心が深いから画面が重層的で厚みがあるのね。黒澤(明)さんがそうだね。</p>

<p>――奥行きが深いということは、ライトの量を多くしなくてはいけませんね。役者の方は暑くて大変だと思いますが。</p>

<p><b>池部</b> そうそう。これは鈴木さんの映画じゃないけど、ライトの件では<em>『戦争と平和』</em>(47／山本薩夫・亀井文夫)でひどい目に遭った。居酒屋があってカウンターがあって、そこに5、6人が横に並んで飲んでいるわけ。そこをタテ構図で撮っていた。僕がいちばん向うにいたのね。それででっかいライトがずらりと並んでいる。10キロとか20キロとかのだね。「テスト！」と言ったらガチャンとライトが点いて、強烈な明かりが当たって、5分ぐらいテストをやっていると、髪の毛はジリジリしちゃうわ、ヤケドをしそうになるわ、頭はボーッとしてくるわで、ひどい目に遭った。「熱い！」と言うと、キャメラの宮島義勇が「熱くないんだ！」と言ってね。それで僕は宮島義勇が嫌いになっちゃった。パンフォーカスというんだけど、奥までピントを合わせようとすると、昔の映画はそれほど強いライトを当てなきゃならなかった。鈴木さんの時代にも、そりゃタテ構図でパンフォーカスで撮れば、熱いことは熱いんだけど、そんなひどいことはなかった。そういう思い出はあんまりないなあ。</p>

<p>――先ほどからお話を伺っていると、鈴木さんと池部さんは相性がよかったようですね。</p>

<p><b>池部</b> そうだね。とにかく僕には鈴木英夫さんというのは演技指導が緩急自在でものすごくうまかった監督という、いい印象しかないね。</p>

<p>2007年2月28日　外国人特派員記者クラブにて<br />
インタビュアー・構成：木全公彦</p>

<h4>■　再録「<em>『不滅の熱球』</em>から」(池部良)</h4>

<p><em>『不滅の熱球』</em>を中心として、少しばかりの感想を書くとき、いずれにしても私事に及ばざるを得ないので、勘弁して頂くこととして。</p>

<p>元来、僕は、スポーツが好きである。しかし学生時代、ほとんど、その経験がなかったので、いわゆるスポーツ映画というものは、尻込していた。それでも映画界に入って十何年ともなれば、たまには自分で気に入った写真に出てみたい希望は、年々歳々カサを増してゆく。</p>

<p>兵隊時代、空しくさせられた乗馬、学生時代もっぱらしていたスケート。小学校時代から何となく毎年の夏、水につかっていた水泳、といったものが土台になって、僕にもやってみれば出来ないはずはない、運動神経の使い方を試したいと思ったのである。試しに映画に出るなんて、失敬千万な事だが、絶対自信を持って演るだけの強い自信があったわけではないので、試しに云ったのである。</p>

<p>僕は、映画俳優の魅力は、個性だと固く信じている。個性が世間に受け入れられている事が、人気俳優であると思う。それは、演技力が高度であろうがなかろうが、その地位はくずれない。</p>

<p>演技力が高い線に、勉強と経験から引き上げられたとしても、映画俳優の総てではない感がある。けれども、逆に、単純な個性だけで終始するのではなく事は、十何年も経ってみれば、分かるのであるが、とても個性だけで、世間の目をゴマかしたくはないし、あきたらなくなって来る。その頃は世間の思惑とは別に、高度なものを求めようと自分自身、あがいて来るのは当然である。</p>

<p>ちょうど、僕には、その年頃になって来たようである。だが、それでも、自分の個性を、他に切りかえて演技力の種類を違った質のものにしたくはないのである。この力が、五十歳、六十歳ともなれば、論をまたずであるだろうけれども、今の段階では、自分でも許し、世間でも認めている個性に、またよい条件と輝きを与えたいと努力したいのである。たとえば、僕はカーク・ダグラスの役目は出来ないが、ジェームズ・スチュワートの役柄なら、こなせそうな感じがするといった具合である。</p>

<p>そこで、もう一つ、たとえ、個性にピッタリとした役柄だとしても、ストーリーに、身もなく、肉もなく。ただただ、スレ違いの興味しかない役は御免蒙りたいと思っている。僕には僕の私生活に関する限りの性格もあると同時に、映画の中で、一個の人格を、鮮やかに画いて、別な映画の中での生活に苦労してみたい欲望がある。ここに俳優の面白さがあると最近になって分かりかけて来たのだが――。</p>

<p>そう言う意味で、新しい人格を構成しながら、自分の個性を多分に発達させようと思えば、それを画き出す、映画のストーリーは或る程度が来る。限界はあってもいいと思っている。それを深さにおいて、熟度を増せばいいのだから。</p>

<p>といった考え方で、しかも、商業映画の大衆と共に生きる、というのであろうか、世間一般が十二分に受け取ってくれて、自分だけが楽しんでいるマスターベーションのジェスチャーだけでない作品をと目玉をキョロつかせてさがしているのである。</p>

<p>その思いつきで至った、最初の作品が<em>『不滅の熱球』</em>という事になるのである。そこで更に今一つ、僕にはあまりピンと来ない事なのであるが、この写真に対して「野球映画」という名称をつけたがる向きもあるようだけども、感心出来ない。野球を踏台にしたのは事実だが、野球を完全に、写生したとは言えないのと、むしろ、野球を素材にして、若い或る人物(沢村選手)の半生記であり、愛の物語であり、仕事に総てを捧げた男の記録であるからである。日本の映画だけが何々ものと名称をつけたがるのはいささか悲しい気がする。そこで釈明するつもりで、もっとも深い真摯な作品を野球に材料をおかりしたという事が分かって頂ければありがたいと思っている。</p>

<p>この作品を作る動機の一つに、僕がやってみたいと言う事から、端を発したのはホントであるけれども、この話をプロデューサーの佐藤一郎氏と脚本家の菊島隆三氏に打ち明けたときから、映画製作へと出発したのである。</p>

<p>脚本の出来具合は菊島氏に任せてあるし、その経過は佐藤氏が、あらゆる手段で実践に当った。そして演出家の鈴木氏が具体的に努力されたのである。</p>

<p>総てをお任せしましたとなれば、僕は俳優である。余計な口をはさむ必要はない。僕の気持ちさえ、呑みこんで頂ければいいのであるから、後は、確実に沢村投手を演じ得る方法を、自分で選んで行けば良いと思った。</p>

<p>簡単に沢村投手を演ると言っても、プロ野球の名選手で、しかも、特徴のあるピッチングをする人である。出来る限り自分で、画面の上でも投げてみたいので、俳優としてのパートをやってのけられるよう、少しばかりではあるが、努力してみた。</p>

<p>大体3ヶ月を目標にして練習したいと考えていたけれども、――これは到底、望むべくもなかった。3ヶ月を芝居にしろ、映画のリハーサルにせよ、その間を映画会社にしてみれば、全くブランクにしておくのは、もってのほかであり、僕自身も、やってみたいと思う脚本の誘いなどを受けると、ついその気になったりして、3ヶ月の練習期間を設けるのに大骨折をしてしまった。結局のところ、3週間ちょっとという時間が与えられて、最初の1週間を、読売の中島さん、ジュニア・ジャイアンツ監督・内堀さんのコーチで、まず、ピッチング、それと沢村選手の、あの特徴ある投げ方を教わった。元々、野球に関しては、まるで能なしの事なので、お二人とも、アゴをさすって思案投首の態。</p>

<p>とにかく、少しでも、真似が出来ればいいというのを目標に、フォームから教わることにした。どうせ映画だから、ゴマかしは当たり前と考えた訳ではないが、何しろフォームが一番大切で、それから、球の行方が問題になると内堀さんも、中島さんも、そして僕もそう考えたのである。なかなか思うようにはいかんと思っていたけれども、こうも出来ないものかとなげいてしまった。</p>

<p>多摩川の巨人軍合宿所で練習したものの20代とは違うのである。苦しいのが先に立って、何とも歯がゆい。</p>

<p>2週間目からは、捕手内堀選手になる千秋君と誘い合って房総の先、那古海岸で、身体を作ろうという建前で、二人だけの合宿をした。暑いので、ヤケにくたびれる。</p>

<p>それでも、朝、2時間、昼下がりから2時間の日課を通して、多少、腕の痛さ、腰の痛さを消したので、これは、幸先宣しと、二人でニッコリした。</p>

<p>3週間に入って再び、内堀氏、中島氏、それとジュニア・ジャイアンツの諸君から、手に手をとって教わった。</p>

<p>3週目の終わりから、クランク・インである。それからは、練習が出来ないので、野球シーンとなると、少し早く出て練習したけれどもヒジだの肩だのを痛めて、ピッチャーの苦労を、ヒトシオ感じた。</p>

<p>映画製作に始めからタッチした俳優の経験としては貴重だったと思います。<em>『不滅の熱球』</em>が大方の賛同を得ようと得まいと、今後他の機会にこれらの経験を生かして行ったらと、僕に力強い方向を与えてくれました。</p>

<p>初出「月刊シナリオ」1955年2月号<br />
＊池部良さんの了解を得て、全文を転載しました</p>

<p>付記：前回の記事(鈴木英夫&#9319;)で、蜷川親博が助監督で参加した<em>『急行列車大競争』</em>なる映画は存在しないと書きましたが、掲示板で<em>『地獄の貴婦人』</em>(49／小田基義)のことではないかと指摘がありました。調べてみたところ、それに間違いないようでしたので、原稿の一部を訂正しました。<em>『地獄の貴婦人』</em>についてはいろいろ興味深い製作背景のある映画なので、改めて調査し、いずれ書きたいと思います。</p>]]>
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    <title>鈴木英夫〈その8〉　インタビュー：池部良&amp;#9312;</title>
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    <published>2007-08-06T01:39:43Z</published>
    <updated>2007-08-16T02:07:03Z</updated>
    
    <summary> 先ごろ、インタビュー本「映画俳優　池部良」（志村三代子、弓桁あや編、ワイズ出版...</summary>
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<p>先ごろ、インタビュー本「映画俳優　池部良」（志村三代子、弓桁あや編、ワイズ出版、2007年刊）が出版されたばかりの池部良さんにインタビューを行った。</p>]]>
        <![CDATA[<p>池部さんは、『不滅の熱球』（55）、『大番頭小番頭』（55）、『脱獄囚』（57）、『黒い画集・第二話／寒流』（61）の計4本の鈴木英夫作品に出演なさっている。鈴木英夫監督については、「映画俳優　池部良」でも触れられているので、今回のインタビューの目的は、主に『殺人容疑者』（52）の脚本と共同監督にクレジットされている《船橋比呂志》なる人物について、お聞きすることである。《船橋比呂志》とは誰か。以前、この欄でインタビューを掲載した、脚本家の長谷川公之さんに聞くと（鈴木英夫〈その7〉）、「池部良さんのマネージャーみたいなことをやっていた蜷川親博（にながわ・しんぱく）という人のペンネーム」という回答を得たので、池部さんにその情報の裏づけを取り、さら